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[ニュース]
http://www.47news.jp/CN/200812/CN2008120201000422.html
2008.12.04
全盲落語家引きずられ重体 大阪、阪急電車のホーム
1日午後11時ごろ、大阪市淀川区三国本町の阪急宝塚線三国駅ホームで、全盲の落語家笑福亭伯鶴(本名丹羽透)さん(51)=淀川区西三国=が梅田発雲雀丘花屋敷行き普通電車に接触して引きずられ、脳挫傷と両脚骨折で重体となった。
淀川署は伯鶴さんが誤って接触した可能性があるとみている。脚をホームと電車にはさまれ約15メートルにわたって引きずられたとみられ、詳しい状況を調べている。
阪急電鉄によると、運転士(31)や車掌(28)は事故に気付かず、電車は通常運転を続けた。
調べや阪急電鉄によると、伯鶴さんは普通電車を降り、先頭車両付近のホームをふらふらした様子で歩いていた。電車が動きだした際、車両側面にぶつかって引きずられ、ホーム端のフェンスを乗り越えたところで倒れていた。男性会社員らが近くで事故を目撃していた。
車両側面には2両目から最後尾の8両目に引っかいたような傷が残り、8両目に血痕が付着。ホーム下には視覚障害者用のつえが落ちていた。
所属事務所によると、伯鶴さんは大阪市内で仕事の打ち合わせをして飲酒し1人で帰宅途中だった。
2008/12/02 13:44 【共同通信】
ホーム 共同ニュース
作者:i-miya
更新日:2008年12月4日 4時43分
[読書中]★元木泰雄『保元・平治の乱を読みなおす』()2008.11.16-
『』(NHK出版)
博士課程指導認定退学
河内祥輔
『保元の乱、平治の乱』
の批判の書でもある
ワープロ
大量の日本語文章
P003
はじめに
保元元年(1156)七月
平治元年(1159)12月
配流(はいる)
第1章 分裂する政界
―鳥羽院政期の政情
なさけないかおの
不安
やるせなさ
船
廊下
1. 王家の内紛
<生きていた「賢君」>
『玉葉』
上横手雅敬先生
2008.11.17
さく術によって崇徳天皇の
院政を阻止したことが問題であった
治天の君
鳥羽院はなぜ崇徳に残酷な措置を行ったか
崇徳の母
=鳥羽の中宮=待賢門院
=藤原璋子
が義父鳥羽の祖父である白河院と密通、できた崇徳
鳥羽にすれば、崇徳は叔父子
院政
道長、頼通と続く摂関家
勢力の後退
藤原氏傍流
=院近臣
興福寺悪僧の勝訴
忠実、事実上の謹慎
宇治10年
苦悩する忠実
興福寺悪僧の巨魁
信実を組織
対抗する忠通
しかし、知行国を石見に変更を余儀なくされた
< 公家、武家、寺社 >
中世日本
< 複合権門>
<悪左府頼長>
男色
三 武者の世
前夜
< 為義と義朝 >
保元
後白河と崇徳
またも男色
廃嫡された義朝
三浦氏と提携する義朝
河内源氏と東国武士との
結合は自律的なものではない
義朝、大庭御厨に乱入
(1144)
京追われ、東国に居住すること数年
P056
<義朝の躍進>
P059
多田源氏、系図
<伊勢平氏の動き>
院政期最大の武門
伊勢平氏
第2章 帝王と上皇
―乱の勃発
(絵)
高下駄をはいた異類・異形の人達
(清涼寺)
藤原定成の家
頼長のわな
高下駄で通ろうとした
鳥羽院は頼長を
「ウトミオボシメ」した
(うとましく思うようになった)
頼長排斥図る
忠通
< まさかの即位 >
近衛天皇の視力悪化
(写真)源雅定
<忠実、頼長の失脚>
阪急電鉄京都線
桂川鉄橋から、北を見ると
山頂部にこぶが
飛び出したような特異な山容
愛宕山である
火伏の神
近衛天皇の霊
P081
美福門院
身分の低い院近臣の出身
美濃源氏
院近臣
清盛一族の後白河陣営参陣
乳母の存在
大和源氏
その系図
鳥羽院の初七日
後白河の綸旨
綸旨・・・天皇の個人的意思で発給できる
頼長封じ
地方武士の動員防止
頼長が罪人との認定
信西の活躍
美福や忠通の
思惑通り
兵乱の勃発
< 崇徳と頼長、合流 >
9日夜のこと
2008.11.18
父院、院政解く
大きな権威
P092
< 摂関家、恐るべし >
忠実、頼長
P115
2 敗者の運命
<上皇の配流>
崇徳、13日、仁和寺の
覚性法親王に出頭
P122
< 忠実の幽閉 >
<死刑の復活>
三 勝者たちの明暗
<恩賞授与>
<執政、信西>
2008.11.19
南家貞嗣流
P136
<王家の血統>
中継である後白河
出自及び病弱の美福門院
関白忠通も傍流
「夜の関白」
藤原頼隆
権威欠く信西
「兵範記」
五味文彦
P138
<苦汁の勝者、忠通>
保元3、4
賀茂祭使の行列見物する忠通
その前を横切った信頼の無礼
作者:i-miya
更新日:2008年12月3日 21時12分
[読書中]★原尻淳一他『IDEA HACKS!』(東洋経済新報社)2008.11.16-
[読書中]★関幸彦『源頼朝―鎌倉殿の誕生』(PHP新書)2008.11.14-
PC2008.12.03 0724
2008.11.15 当初記入(18日遅れ)
2008.11.15
自身は動くこともなく
頼義以来の八幡神の
象徴化
天照大神とは、別個
武神の八幡神
< 京都の義経―対立の予兆 >
無断任官
左衛門少尉、検非違使に
< 相次ぐ粛清 >
範頼軍に
義経、再登場
P114
< 屋島、壇ノ浦へ>
梶原景時
2008.11.16
作者:i-miya
更新日:2008年12月3日 21時12分
[読書中]★関幸彦『源頼朝―鎌倉殿の誕生』(PHP新書)2008.11.14-
PC2008.12.02 0730
2008.11.15 当初記入(17日遅れ)
2008.11.15
戦後、史学界のリード役
中田薫/牧健二
守護、地頭論争
第1部 治承4年
―内乱から内乱へ
1. 謀反の政権
「将門の乱」
治承永寿の内乱
頼朝、伊豆から
「玉葉」(九条兼実)
10C半ばのかつての将門の乱
< 内乱の予兆>
治承3.05の内乱
その予兆
後白河法皇の第2皇子
以仁王と源頼政の挙兵
三条高倉の以仁王のところ
事は露見
5/15 清盛、福原より
軍を率い上洛
敗死する頼政と
以仁王、宇治橋のあたり
<最勝王の宣旨―平家の二つの罪>
挙兵
山本兼隆が当面の敵
8/17 夜、決行
三島社の大祭のときにまぎれ実行
伊豆を従えた頼朝
8/23 大庭景親3000と
遭遇し敗走
三浦も安房へ
「吾妻鏡」
<房総再起>
上総介広常
9/19 2000騎
上総全域
< 鎌倉への道 >
27千騎
10/6 鎌倉着
10/11 出陣
10/20 富士川の戦い
平氏、戦わず負ける
佐竹討伐
千葉氏からの要望が
大きかった
P053
板東平氏の1派
千葉氏
平良文を祖とする
平忠常の乱
上総、千葉両氏とも
義朝(頼朝の父)に参じている
義朝は平治の欄で沈落
P054
源義宗の介入
< 源頼朝以前―家人化>
富士川の合戦
水鳥に驚き逃亡する平家
甲斐源氏の動き
2. 武蔵の来歴と源氏
神話
東国
< 板東の選択―王朝をどうするか>
11C後半
東北舞台
前九年後三年の役
荘官クラス
介クラス
P065
<頼朝の和平提案>
王朝へのアプローチ
「頼朝の密葬」
<反乱から反乱へ>
九州・清盛への謀反
1181 清盛死
9月半ば
菊池高直、数万
<武威を支える、二つの論理>
(1)以仁王
東国荘官、公領の支配命じられる
令旨の存在
(2)私的論理
家人支配―主従の論理
<頼朝はなぜ東国に配慮されたか>
<源氏神話の確立>
「陸奥話記」
化膿した部下の傷口から自ら膿を吸い出す
史記 呉越伝
<治承4年とは何か>
建久元年、上洛
右近衛大将
(うこのえたいしょう)
その居所を幕府とする
のが正しいはず
1190
P080
3 義仲とは覇権争い
<善戦する平氏、義仲の動き>
義仲の京都進撃(図)
1180.09.07 旗揚げ
1181.06.14 善光寺
1183.05.09 般若野
1183.05.11 倶利伽羅峠
1183.06.01 しのはら
1183.06.29 近江国境
1183.07.22 延暦寺
1183.07.28 入京
三者の鼎立
東海、東山、両道
頼朝
北陸道
義仲
畿内西国方面
< 義仲の寿永2年―栄光と挫折 >
1183.07.25
平家、都を放棄
後白河
7/24夜 比叡山へ
義仲勢、力の統制不足
P090
<治承4年を歩く>
―海から見えるもの
治承4年10 頼朝、鎌倉入りを果たす
鶴岡八幡宮
第2部 文治元年
鎌倉殿誕生
1. 鎌倉殿とは何か
<義経の登場、 ライバル交代>
義仲
法皇幽閉
五条東洞院へ
頼朝
義経、のり頼を上洛さす
1184(寿永3)正月
宇治川合戦
近江粟津で敗死する義仲
<西海戦線>
三種神器の集セン
一の谷
寿永3.2.7
P100
<鎌倉殿―官制外の権威>
寿永3=元暦元年(1184)
作者:i-miya
更新日:2008年12月3日 3時55分
[ブログ] 道元
2008.12.02
http://hitorigurashi.cocolog-nifty.com/kyodo/
録画していた井上ひさし作蜷川幸雄演出の「道元の冒険」を見始めて、あまりのでたらめさ
と稚拙さに唖然となる。密教も混入した禅が純粋禅とは。こういうでたらめさに意味があるなら良いが、それがない。あまりにひどいので途中で見るのをやめる。蜷川演出も相当ひどい。昔はよかったのに。どうしたことだろうか。
作者:i-miya
更新日:2008年12月2日 5時14分
[読書中]★関幸彦『源頼朝―鎌倉殿の誕生』(PHP新書)2008.11.14-
『』()
はしがき
治承4(1180)
文治元(1185)
建久元(1190)
P013
プロローグ
<お手本なき時代>
恩師 安田元久先生
明治の史家 山路愛山
石母田正『中世的世界の形成』
作者:i-miya
更新日:2008年12月2日 3時44分
[読書中]★板坂耀子『平家物語』(中公新書)2008.11.13-
『』()
−あらすじで楽しむ源平の戦い
P023
第2章 前半のあらすき
3つの反乱
第1回 鹿ケ谷の変
前の章段
平清盛の父重盛がようやく出世して
天皇の側に伺候できるようになったとき
貴族から受けたいじわる
それに対応する
P051
第3回 頼朝
< 文覚 >
若い頃遠藤盛遠という武士
この文覚が伊豆に着いて同じ流人の頼朝と交際
P053
<富士川の水鳥>
2008.11.14
P057
<頼朝という人物>
「平家物語」は頼朝の姿、十分に書けていない
場面重視
佐原十郎義連(よしつら)(さわらの)
第3章 後半のあらすき
3つの戦い
第1回 一の谷の合戦
―美しい者が
華やかに散る
1184.02 一の谷の合戦
鎌倉の頼朝攻めあぐねている
京都に攻まる頼朝
義経、木曾義仲(義経のいとこ)
平家は幼い安徳天皇と
三種の神器を擁して
都、脱出
しかし、義仲、義経の争いで平家は
再起をはかり、力を蓄える
< 大手、からめ手 >
しかが越えるこの坂道、馬が越えないわけはない
< 笈の小文 芭蕉うろくず(魚)の餌となる供物(天皇の食事)
<花々のように>
「光明遍照十方世界
念仏衆生、摂取不捨
今井兼年
P081
< 家庭としての戦場、戦場としての家庭>
平家=家庭
源氏=戦場
宇治川での先陣争い
梶原景季
佐々木高綱
P084
< 褒賞求めて >
熊谷次郎直実
第2部 図式で覚える
内容と構成
第1章 清盛と重盛
宗盛と知盛
第1回 前半の対立
―悪と正義
<わかりやすい図式>
平家滅亡の原因
神仏を怒らせ人心を離反させる清盛
悪のすべて
よいことをするのは常に重盛(長男)
P130
重盛、病死で諌め役いなくなって滅亡
その中で清盛三男の宗盛は
総大将
だが、常に誤った判断
その中で正しい判断をしている知盛
前半 寺院関係との対立
後半 入り乱れるが役割、不変
P132
< 聞き手の要求 >
< 神仏の判定 >
神仏は平家を見捨て源氏に味方する
<重盛の役割 >
P140
< 重盛の魅力 >
リチャード三世
第2回 後半の対決
愚かさと賢さ
<知盛の評価>
<後半の図式>
<阿波民部の裏切り>
<選ばれた理由>
虚構と現実の図式
P172
第2回 武器のない戦い
<論争、説得、嘆願>
2008.11.15
P195
第3回 優等生の魅力とは
<へん手人物と円珠人物>
読了
関幸彦『源頼朝―鎌倉殿の誕生』(PHP新書)
はしがき
治承4(1180)
文治元(1185)
建久元(1190)
P013
プロローグ
<お手本なき時代>
恩師 安田元久先生
明治の史家 山路愛山
石母田正『中世的世界の形成』
作者:i-miya
更新日:2008年12月2日 3時42分
[読書中]★小谷野敦『間宮林蔵 隠密説の虚実』(教育出版)2008.11.12-
間宮
PC2008.12.01 0723
2008.11.12 当初記入(19日遅れ)
2008.11.12
秦あわぎ丸(はたあわぎまる)
の別名
1807 ロシア人の襲撃
会所のあるシャナ
第4章 レザノフとクルーゼンシュテルン
露米会社というものがあった
米はアラスカのこと
1867 ロシアがアメリカロンポールに売却
(小谷野敦の判断)
露米会社
1799 設立
レザノフ奔走
ニコライ・ペトローヴィチ・レザノフ
シュリマフという
毛皮業者
(イルクーツク)
とじっこんに
シュリコフの娘とレザノフ、結婚
ウルップ進出 1795
に死亡のシュリコフ
ムイリョフ後任
第5章 択捉島事件
1807.04 レザノフ、急死
ナイホ
ダビィドフ
スヴォトフ
1807.04.23夕のこと
第6章 第一次カラフト探検
P056
松田仁三郎 箱館到着は1807.06.12
カラフト、択捉、リシュは
ロシア人の襲撃で騒然
間宮、ロシア探索願い出
仁三郎も申し出
仁三郎、宗谷勤務
7/18 宗谷着
奉行 村垣淡路守
定行、松前へ向かう
仁三郎→伝十郎 改名
4/13 2人、宗谷出発
シラヌシ 4/17 出発
4/18 クシュタンコン
4/23 トンナイチャ
5/2 ナイブツ
ここから先は日本人、初
5/21 シャークコタン
別ルートの2人
東回り=伝十郎
西回り=林蔵
P070
第7章 カラフトから大陸へ
―第2次探検
1808.7.13 宗谷を立つ
貞宝丸(高田屋船)
第8章 コロヴニン事件と林蔵
P100
『菜の花の沖』に円熟した筆で描かれている
第9章 シーボルト来航
P118
第10章 発覚、シーボルト事件
2008.11.13
P183
読了
作者:i-miya
更新日:2008年12月2日 3時40分
[ニュース] 浅田真央
http://mainichi.jp/enta/sports/graph/2008/figureNHK/67.html
2008.11.30
【フィギュアNHK杯】女子シングルで日本勢が表彰台を独占。優勝した浅田真央(中央)
、2位の鈴木明子(左)、3位の中野友加里=東京・代々木第1体育館で2008年11月29日、手塚耕一郎撮影
作者:i-miya
更新日:2008年11月30日 4時29分
[読書中]★小谷野敦『間宮林蔵 隠密説の虚実』(教育出版)2008.11.12-
「」()
1998.10
P007
第1章 江戸に出るまで
図1 間宮林蔵記念館の銅像
水海道市
常磐線
取手の駅
近くの専称寺
小貝川
サンタン人
第二章 当時の国際情勢
アムール河流域に住む
第3章 林蔵蝦夷地へ
村上島之じょう
作者:i-miya
更新日:2008年11月30日 4時13分
[読書中]★脇田修他『物語京都の歴史』(中公新書)2008.11.09-
京都の歴史
PC2008.11.29 0727
2008.11.10 当初記入(19日遅れ)
2008.11.10
その南、岡崎の地
その山側、鹿ケ谷
―俊寛僧都の平家
打倒の陰謀
で名高い
安楽寺―法然
ゆかり
すこし南、南禅寺の北
に永観寺―禅林寺
粟田口
―三条からの通り東へ
清水坂
奈良坂との対立
犬神人と坂非人
坂非人
―清水坂下に住む
―洛中の葬送の
独占
江戸期 弓矢町
に住む
弓矢町には
T14まで
愛宕念仏寺があった
空也や弟子の千観内供
の住坊の念仏堂
からと伝わる
「天狗の酒盛」
ここより少し北、八坂の南
雲居寺
(いまの高台寺あたり)
P113
< 山科・藤原氏の別荘地 宇治 >
東山を超えると山科の地
貴族の遊猟の地
随心院
山科小野
真言宗水野派
浄妙寺
=道長の墓所
小幡(こはた)
もともと藤原基経以来
の一族の墓所
頼通
「源氏物語」
宇治十帖のモデルの舞台
第4章 南北朝、室町、戦国の京都
P134
< 応仁・文明の乱>
義教の子
義政は
ふらふらとして定見のない
人柄
二大実力者
細川勝元
山名宗全の争い
文明5(1473)
双方が死亡
勝教は富子の子かも
しれない
大内政弘
が奪った領土を
そのまま安堵
二 新宗教の洛中
興隆
< 京都五山と尼門跡 >
義満―相国寺建立
< 在野禪院、林下>
大徳寺
妙心寺
=関山慧玄を開山
< 時宗―一遍以降の教線 >
六条道場歓喜光寺
七条道場金光寺
四条道場金達寺
=佐々木道誉が寄進
< 浄土宗―真宗 >
浄土宗―法然
西山派―良空
西山派(永観堂)=−禅林寺派
浄土真宗―運妙
1471 吉崎御坊
一向一揆へ
< 法華寺の西国弘通 >
日蓮宗
洛外西郊
向日市の
鶏冠井(かいで)
から始まる関西布教
白像
強硬派日親
なべかむり日親
P156
三 全国経済の
< 刀剣と釜 >
唐織
江戸初期の宮崎友禅斎
友禅のできる素地
四 自治都市のあり方
< 商工業者の居住地域 >
洛中に
酒屋 4000軒、室町期
土倉 400
義満
綿座
材木座
油座
山恕Wの油座の住系
神人 64軒
< 職業別結合の座>
P181
5 洛外 周縁の地
< 伏見 深草 >
伏見貞成(さだふさ)
親王
「看聞日記」
< 攻め寄る洛外からの徳政一揆 >
六 戦国時代の京都
―洛中洛外図の世界
< 戦国の政権の推移 >
応仁・文明の乱
焼け爛れた京都
将軍御所
焼け残る
が、文明8(1476)
類焼にあう
河原者、善阿弥
日野富子
義政
慈照寺銀閣
東山山荘
P198
洛中洛外屏風図
上杉本
法華一揆
本国寺
武装拠点
能狂言
清水の観世音のおかげ
鞍馬山の毘沙門信仰
比叡山の三面大黒天
連歌好き者の話
< 戦国の京都攻防、信長入京まで >
細川家の勝利
船岡山の合戦
P214
第5章 近世の京都
< 信長入京 >
城下町として経営していた
美濃、稲葉山城の山下井ノ口を中国
周王朝の起点となった
岐山にちなんで
岐阜としている
織田家
越前織田ノ荘の出
(おたのしょう)
越前尾張守護
斯波氏に仕え
尾張守護代となる
信長
義昭を越前から
迎える
2008.11.12
P257
< 金銀座と刀座 >
貨幣
量衡器。京都で生産
大判
室町期 彫金家
後藤祐乗の流れ
後藤徳乗の流れ
P317
読了
作者:i-miya
更新日:2008年11月30日 4時13分
[ニュース]史跡発掘
http://mainichi.jp/area/fukuoka/news/20081128ddlk40040354000c.html
2008.11.29
40周年企画展:大宰府史跡発掘の歴史紹介 墨書土器、木簡など80点 /福岡
◇政庁跡や水城跡
奈良・平安時代の大宰府政庁跡や水城跡、山城・大野城跡などが発掘されて40年。これを記念して、発掘の歴史をたどる企画展「天平追想−古代都市・大宰府の栄華」(古都大宰府保存協会、九州歴史資料館主催)が太宰府市観世音寺4の大宰府展示館で開かれている。12月7日まで。
作者:i-miya
更新日:2008年11月29日 4時30分
[ニュース]
http://www.47news.jp/CN/200812/CN2008120201000422.html
2008.12.04
全盲落語家引きずられ重体 大阪、阪急電車のホーム
1日午後11時ごろ、大阪市淀川区三国本町の阪急宝塚線三国駅ホームで、全盲の落語家笑福亭伯鶴(本名丹羽透)さん(51)=淀川区西三国=が梅田発雲雀丘花屋敷行き普通電車に接触して引きずられ、脳挫傷と両脚骨折で重体となった。
淀川署は伯鶴さんが誤って接触した可能性があるとみている。脚をホームと電車にはさまれ約15メートルにわたって引きずられたとみられ、詳しい状況を調べている。
阪急電鉄によると、運転士(31)や車掌(28)は事故に気付かず、電車は通常運転を続けた。
調べや阪急電鉄によると、伯鶴さんは普通電車を降り、先頭車両付近のホームをふらふらした様子で歩いていた。電車が動きだした際、車両側面にぶつかって引きずられ、ホーム端のフェンスを乗り越えたところで倒れていた。男性会社員らが近くで事故を目撃していた。
車両側面には2両目から最後尾の8両目に引っかいたような傷が残り、8両目に血痕が付着。ホーム下には視覚障害者用のつえが落ちていた。
所属事務所によると、伯鶴さんは大阪市内で仕事の打ち合わせをして飲酒し1人で帰宅途中だった。
2008/12/02 13:44 【共同通信】
ホーム 共同ニュース
作者:i-miya
更新日:2008年12月3日 19時43分
[読書中]★元木泰雄『保元・平治の乱を読みなおす』()2008.11.16-
『』(NHK出版)
博士課程指導認定退学
河内祥輔
『保元の乱、平治の乱』
の批判の書でもある
ワープロ
大量の日本語文章
P003
はじめに
保元元年(1156)七月
平治元年(1159)12月
配流(はいる)
第1章 分裂する政界
―鳥羽院政期の政情
なさけないかおの
不安
やるせなさ
船
廊下
1. 王家の内紛
<生きていた「賢君」>
『玉葉』
上横手雅敬先生
2008.11.17
さく術によって崇徳天皇の
院政を阻止したことが問題であった
治天の君
鳥羽院はなぜ崇徳に残酷な措置を行ったか
崇徳の母
=鳥羽の中宮=待賢門院
=藤原璋子
が義父鳥羽の祖父である白河院と密通、できた崇徳
鳥羽にすれば、崇徳は叔父子
院政
道長、頼通と続く摂関家
勢力の後退
藤原氏傍流
=院近臣
興福寺悪僧の勝訴
忠実、事実上の謹慎
宇治10年
苦悩する忠実
興福寺悪僧の巨魁
信実を組織
対抗する忠通
しかし、知行国を石見に変更を余儀なくされた
< 公家、武家、寺社 >
中世日本
< 複合権門>
<悪左府頼長>
男色
三 武者の世
前夜
< 為義と義朝 >
保元
後白河と崇徳
またも男色
廃嫡された義朝
三浦氏と提携する義朝
河内源氏と東国武士との
結合は自律的なものではない
義朝、大庭御厨に乱入
(1144)
京追われ、東国に居住すること数年
P056
<義朝の躍進>
P059
多田源氏、系図
<伊勢平氏の動き>
院政期最大の武門
伊勢平氏
第2章 帝王と上皇
―乱の勃発
(絵)
高下駄をはいた異類・異形の人達
(清涼寺)
藤原定成の家
頼長のわな
高下駄で通ろうとした
鳥羽院は頼長を
「ウトミオボシメ」した
(うとましく思うようになった)
頼長排斥図る
忠通
< まさかの即位 >
近衛天皇の視力悪化
(写真)源雅定
<忠実、頼長の失脚>
阪急電鉄京都線
桂川鉄橋から、北を見ると
山頂部にこぶが
飛び出したような特異な山容
愛宕山である
火伏の神
近衛天皇の霊
P081
美福門院
身分の低い院近臣の出身
美濃源氏
院近臣
清盛一族の後白河陣営参陣
乳母の存在
大和源氏
その系図
鳥羽院の初七日
後白河の綸旨
綸旨・・・天皇の個人的意思で発給できる
頼長封じ
地方武士の動員防止
頼長が罪人との認定
信西の活躍
美福や忠通の
思惑通り
兵乱の勃発
< 崇徳と頼長、合流 >
9日夜のこと
2008.11.18
父院、院政解く
大きな権威
P092
< 摂関家、恐るべし >
忠実、頼長
P115
2 敗者の運命
<上皇の配流>
崇徳、13日、仁和寺の
覚性法親王に出頭
P122
< 忠実の幽閉 >
<死刑の復活>
三 勝者たちの明暗
<恩賞授与>
<執政、信西>
2008.11.19
南家貞嗣流
P136
<王家の血統>
中継である後白河
出自及び病弱の美福門院
関白忠通も傍流
「夜の関白」
藤原頼隆
権威欠く信西
「兵範記」
五味文彦
P138
<苦汁の勝者、忠通>
保元3、4
賀茂祭使の行列見物する忠通
その前を横切った信頼の無礼
作者:i-miya
更新日:2008年12月3日 12時12分
[読書中]★原尻淳一他『IDEA HACKS!』(東洋経済新報社)2008.11.16-
[読書中]★関幸彦『源頼朝―鎌倉殿の誕生』(PHP新書)2008.11.14-
PC2008.12.03 0724
2008.11.15 当初記入(18日遅れ)
2008.11.15
自身は動くこともなく
頼義以来の八幡神の
象徴化
天照大神とは、別個
武神の八幡神
< 京都の義経―対立の予兆 >
無断任官
左衛門少尉、検非違使に
< 相次ぐ粛清 >
範頼軍に
義経、再登場
P114
< 屋島、壇ノ浦へ>
梶原景時
2008.11.16
作者:i-miya
更新日:2008年12月3日 12時12分
[読書中]★関幸彦『源頼朝―鎌倉殿の誕生』(PHP新書)2008.11.14-
PC2008.12.02 0730
2008.11.15 当初記入(17日遅れ)
2008.11.15
戦後、史学界のリード役
中田薫/牧健二
守護、地頭論争
第1部 治承4年
―内乱から内乱へ
1. 謀反の政権
「将門の乱」
治承永寿の内乱
頼朝、伊豆から
「玉葉」(九条兼実)
10C半ばのかつての将門の乱
< 内乱の予兆>
治承3.05の内乱
その予兆
後白河法皇の第2皇子
以仁王と源頼政の挙兵
三条高倉の以仁王のところ
事は露見
5/15 清盛、福原より
軍を率い上洛
敗死する頼政と
以仁王、宇治橋のあたり
<最勝王の宣旨―平家の二つの罪>
挙兵
山本兼隆が当面の敵
8/17 夜、決行
三島社の大祭のときにまぎれ実行
伊豆を従えた頼朝
8/23 大庭景親3000と
遭遇し敗走
三浦も安房へ
「吾妻鏡」
<房総再起>
上総介広常
9/19 2000騎
上総全域
< 鎌倉への道 >
27千騎
10/6 鎌倉着
10/11 出陣
10/20 富士川の戦い
平氏、戦わず負ける
佐竹討伐
千葉氏からの要望が
大きかった
P053
板東平氏の1派
千葉氏
平良文を祖とする
平忠常の乱
上総、千葉両氏とも
義朝(頼朝の父)に参じている
義朝は平治の欄で沈落
P054
源義宗の介入
< 源頼朝以前―家人化>
富士川の合戦
水鳥に驚き逃亡する平家
甲斐源氏の動き
2. 武蔵の来歴と源氏
神話
東国
< 板東の選択―王朝をどうするか>
11C後半
東北舞台
前九年後三年の役
荘官クラス
介クラス
P065
<頼朝の和平提案>
王朝へのアプローチ
「頼朝の密葬」
<反乱から反乱へ>
九州・清盛への謀反
1181 清盛死
9月半ば
菊池高直、数万
<武威を支える、二つの論理>
(1)以仁王
東国荘官、公領の支配命じられる
令旨の存在
(2)私的論理
家人支配―主従の論理
<頼朝はなぜ東国に配慮されたか>
<源氏神話の確立>
「陸奥話記」
化膿した部下の傷口から自ら膿を吸い出す
史記 呉越伝
<治承4年とは何か>
建久元年、上洛
右近衛大将
(うこのえたいしょう)
その居所を幕府とする
のが正しいはず
1190
P080
3 義仲とは覇権争い
<善戦する平氏、義仲の動き>
義仲の京都進撃(図)
1180.09.07 旗揚げ
1181.06.14 善光寺
1183.05.09 般若野
1183.05.11 倶利伽羅峠
1183.06.01 しのはら
1183.06.29 近江国境
1183.07.22 延暦寺
1183.07.28 入京
三者の鼎立
東海、東山、両道
頼朝
北陸道
義仲
畿内西国方面
< 義仲の寿永2年―栄光と挫折 >
1183.07.25
平家、都を放棄
後白河
7/24夜 比叡山へ
義仲勢、力の統制不足
P090
<治承4年を歩く>
―海から見えるもの
治承4年10 頼朝、鎌倉入りを果たす
鶴岡八幡宮
第2部 文治元年
鎌倉殿誕生
1. 鎌倉殿とは何か
<義経の登場、 ライバル交代>
義仲
法皇幽閉
五条東洞院へ
頼朝
義経、のり頼を上洛さす
1184(寿永3)正月
宇治川合戦
近江粟津で敗死する義仲
<西海戦線>
三種神器の集セン
一の谷
寿永3.2.7
P100
<鎌倉殿―官制外の権威>
寿永3=元暦元年(1184)
作者:i-miya
更新日:2008年12月2日 18時55分
[ブログ] 道元
2008.12.02
http://hitorigurashi.cocolog-nifty.com/kyodo/
録画していた井上ひさし作蜷川幸雄演出の「道元の冒険」を見始めて、あまりのでたらめさ
と稚拙さに唖然となる。密教も混入した禅が純粋禅とは。こういうでたらめさに意味があるなら良いが、それがない。あまりにひどいので途中で見るのをやめる。蜷川演出も相当ひどい。昔はよかったのに。どうしたことだろうか。
作者:i-miya
更新日:2008年12月1日 20時14分
[読書中]★関幸彦『源頼朝―鎌倉殿の誕生』(PHP新書)2008.11.14-
『』()
はしがき
治承4(1180)
文治元(1185)
建久元(1190)
P013
プロローグ
<お手本なき時代>
恩師 安田元久先生
明治の史家 山路愛山
石母田正『中世的世界の形成』
作者:i-miya
更新日:2008年12月1日 18時44分
[読書中]★板坂耀子『平家物語』(中公新書)2008.11.13-
『』()
−あらすじで楽しむ源平の戦い
P023
第2章 前半のあらすき
3つの反乱
第1回 鹿ケ谷の変
前の章段
平清盛の父重盛がようやく出世して
天皇の側に伺候できるようになったとき
貴族から受けたいじわる
それに対応する
P051
第3回 頼朝
< 文覚 >
若い頃遠藤盛遠という武士
この文覚が伊豆に着いて同じ流人の頼朝と交際
P053
<富士川の水鳥>
2008.11.14
P057
<頼朝という人物>
「平家物語」は頼朝の姿、十分に書けていない
場面重視
佐原十郎義連(よしつら)(さわらの)
第3章 後半のあらすき
3つの戦い
第1回 一の谷の合戦
―美しい者が
華やかに散る
1184.02 一の谷の合戦
鎌倉の頼朝攻めあぐねている
京都に攻まる頼朝
義経、木曾義仲(義経のいとこ)
平家は幼い安徳天皇と
三種の神器を擁して
都、脱出
しかし、義仲、義経の争いで平家は
再起をはかり、力を蓄える
< 大手、からめ手 >
しかが越えるこの坂道、馬が越えないわけはない
< 笈の小文 芭蕉うろくず(魚)の餌となる供物(天皇の食事)
<花々のように>
「光明遍照十方世界
念仏衆生、摂取不捨
今井兼年
P081
< 家庭としての戦場、戦場としての家庭>
平家=家庭
源氏=戦場
宇治川での先陣争い
梶原景季
佐々木高綱
P084
< 褒賞求めて >
熊谷次郎直実
第2部 図式で覚える
内容と構成
第1章 清盛と重盛
宗盛と知盛
第1回 前半の対立
―悪と正義
<わかりやすい図式>
平家滅亡の原因
神仏を怒らせ人心を離反させる清盛
悪のすべて
よいことをするのは常に重盛(長男)
P130
重盛、病死で諌め役いなくなって滅亡
その中で清盛三男の宗盛は
総大将
だが、常に誤った判断
その中で正しい判断をしている知盛
前半 寺院関係との対立
後半 入り乱れるが役割、不変
P132
< 聞き手の要求 >
< 神仏の判定 >
神仏は平家を見捨て源氏に味方する
<重盛の役割 >
P140
< 重盛の魅力 >
リチャード三世
第2回 後半の対決
愚かさと賢さ
<知盛の評価>
<後半の図式>
<阿波民部の裏切り>
<選ばれた理由>
虚構と現実の図式
P172
第2回 武器のない戦い
<論争、説得、嘆願>
2008.11.15
P195
第3回 優等生の魅力とは
<へん手人物と円珠人物>
読了
関幸彦『源頼朝―鎌倉殿の誕生』(PHP新書)
はしがき
治承4(1180)
文治元(1185)
建久元(1190)
P013
プロローグ
<お手本なき時代>
恩師 安田元久先生
明治の史家 山路愛山
石母田正『中世的世界の形成』
作者:i-miya
更新日:2008年12月1日 18時42分
[読書中]★小谷野敦『間宮林蔵 隠密説の虚実』(教育出版)2008.11.12-
間宮
PC2008.12.01 0723
2008.11.12 当初記入(19日遅れ)
2008.11.12
秦あわぎ丸(はたあわぎまる)
の別名
1807 ロシア人の襲撃
会所のあるシャナ
第4章 レザノフとクルーゼンシュテルン
露米会社というものがあった
米はアラスカのこと
1867 ロシアがアメリカロンポールに売却
(小谷野敦の判断)
露米会社
1799 設立
レザノフ奔走
ニコライ・ペトローヴィチ・レザノフ
シュリマフという
毛皮業者
(イルクーツク)
とじっこんに
シュリコフの娘とレザノフ、結婚
ウルップ進出 1795
に死亡のシュリコフ
ムイリョフ後任
第5章 択捉島事件
1807.04 レザノフ、急死
ナイホ
ダビィドフ
スヴォトフ
1807.04.23夕のこと
第6章 第一次カラフト探検
P056
松田仁三郎 箱館到着は1807.06.12
カラフト、択捉、リシュは
ロシア人の襲撃で騒然
間宮、ロシア探索願い出
仁三郎も申し出
仁三郎、宗谷勤務
7/18 宗谷着
奉行 村垣淡路守
定行、松前へ向かう
仁三郎→伝十郎 改名
4/13 2人、宗谷出発
シラヌシ 4/17 出発
4/18 クシュタンコン
4/23 トンナイチャ
5/2 ナイブツ
ここから先は日本人、初
5/21 シャークコタン
別ルートの2人
東回り=伝十郎
西回り=林蔵
P070
第7章 カラフトから大陸へ
―第2次探検
1808.7.13 宗谷を立つ
貞宝丸(高田屋船)
第8章 コロヴニン事件と林蔵
P100
『菜の花の沖』に円熟した筆で描かれている
第9章 シーボルト来航
P118
第10章 発覚、シーボルト事件
2008.11.13
P183
読了
作者:i-miya
更新日:2008年12月1日 18時40分
[ニュース] 浅田真央
http://mainichi.jp/enta/sports/graph/2008/figureNHK/67.html
2008.11.30
【フィギュアNHK杯】女子シングルで日本勢が表彰台を独占。優勝した浅田真央(中央)
、2位の鈴木明子(左)、3位の中野友加里=東京・代々木第1体育館で2008年11月29日、手塚耕一郎撮影
作者:i-miya
更新日:2008年11月29日 19時29分
[読書中]★小谷野敦『間宮林蔵 隠密説の虚実』(教育出版)2008.11.12-
「」()
1998.10
P007
第1章 江戸に出るまで
図1 間宮林蔵記念館の銅像
水海道市
常磐線
取手の駅
近くの専称寺
小貝川
サンタン人
第二章 当時の国際情勢
アムール河流域に住む
第3章 林蔵蝦夷地へ
村上島之じょう
作者:i-miya
更新日:2008年11月29日 19時13分
[読書中]★脇田修他『物語京都の歴史』(中公新書)2008.11.09-
京都の歴史
PC2008.11.29 0727
2008.11.10 当初記入(19日遅れ)
2008.11.10
その南、岡崎の地
その山側、鹿ケ谷
―俊寛僧都の平家
打倒の陰謀
で名高い
安楽寺―法然
ゆかり
すこし南、南禅寺の北
に永観寺―禅林寺
粟田口
―三条からの通り東へ
清水坂
奈良坂との対立
犬神人と坂非人
坂非人
―清水坂下に住む
―洛中の葬送の
独占
江戸期 弓矢町
に住む
弓矢町には
T14まで
愛宕念仏寺があった
空也や弟子の千観内供
の住坊の念仏堂
からと伝わる
「天狗の酒盛」
ここより少し北、八坂の南
雲居寺
(いまの高台寺あたり)
P113
< 山科・藤原氏の別荘地 宇治 >
東山を超えると山科の地
貴族の遊猟の地
随心院
山科小野
真言宗水野派
浄妙寺
=道長の墓所
小幡(こはた)
もともと藤原基経以来
の一族の墓所
頼通
「源氏物語」
宇治十帖のモデルの舞台
第4章 南北朝、室町、戦国の京都
P134
< 応仁・文明の乱>
義教の子
義政は
ふらふらとして定見のない
人柄
二大実力者
細川勝元
山名宗全の争い
文明5(1473)
双方が死亡
勝教は富子の子かも
しれない
大内政弘
が奪った領土を
そのまま安堵
二 新宗教の洛中
興隆
< 京都五山と尼門跡 >
義満―相国寺建立
< 在野禪院、林下>
大徳寺
妙心寺
=関山慧玄を開山
< 時宗―一遍以降の教線 >
六条道場歓喜光寺
七条道場金光寺
四条道場金達寺
=佐々木道誉が寄進
< 浄土宗―真宗 >
浄土宗―法然
西山派―良空
西山派(永観堂)=−禅林寺派
浄土真宗―運妙
1471 吉崎御坊
一向一揆へ
< 法華寺の西国弘通 >
日蓮宗
洛外西郊
向日市の
鶏冠井(かいで)
から始まる関西布教
白像
強硬派日親
なべかむり日親
P156
三 全国経済の
< 刀剣と釜 >
唐織
江戸初期の宮崎友禅斎
友禅のできる素地
四 自治都市のあり方
< 商工業者の居住地域 >
洛中に
酒屋 4000軒、室町期
土倉 400
義満
綿座
材木座
油座
山恕Wの油座の住系
神人 64軒
< 職業別結合の座>
P181
5 洛外 周縁の地
< 伏見 深草 >
伏見貞成(さだふさ)
親王
「看聞日記」
< 攻め寄る洛外からの徳政一揆 >
六 戦国時代の京都
―洛中洛外図の世界
< 戦国の政権の推移 >
応仁・文明の乱
焼け爛れた京都
将軍御所
焼け残る
が、文明8(1476)
類焼にあう
河原者、善阿弥
日野富子
義政
慈照寺銀閣
東山山荘
P198
洛中洛外屏風図
上杉本
法華一揆
本国寺
武装拠点
能狂言
清水の観世音のおかげ
鞍馬山の毘沙門信仰
比叡山の三面大黒天
連歌好き者の話
< 戦国の京都攻防、信長入京まで >
細川家の勝利
船岡山の合戦
P214
第5章 近世の京都
< 信長入京 >
城下町として経営していた
美濃、稲葉山城の山下井ノ口を中国
周王朝の起点となった
岐山にちなんで
岐阜としている
織田家
越前織田ノ荘の出
(おたのしょう)
越前尾張守護
斯波氏に仕え
尾張守護代となる
信長
義昭を越前から
迎える
2008.11.12
P257
< 金銀座と刀座 >
貨幣
量衡器。京都で生産
大判
室町期 彫金家
後藤祐乗の流れ
後藤徳乗の流れ
P317
読了
作者:i-miya
更新日:2008年11月29日 19時13分
[ニュース]史跡発掘
http://mainichi.jp/area/fukuoka/news/20081128ddlk40040354000c.html
2008.11.29
40周年企画展:大宰府史跡発掘の歴史紹介 墨書土器、木簡など80点 /福岡
◇政庁跡や水城跡
奈良・平安時代の大宰府政庁跡や水城跡、山城・大野城跡などが発掘されて40年。これを記念して、発掘の歴史をたどる企画展「天平追想−古代都市・大宰府の栄華」(古都大宰府保存協会、九州歴史資料館主催)が太宰府市観世音寺4の大宰府展示館で開かれている。12月7日まで。
作者:i-miya
更新日:2008年11月28日 19時30分