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三枝の愛ラブ!爆笑クリニック
『三枝の愛ラブ!爆笑クリニック』(さんしのあいラブばくしょうクリニック)は、関西テレビの制作、フジテレビ系列で放送されていた、桂三枝司会のトーク番組である。1981年9月16日放送開始、1995年9月26日放送終了。
目次 [非表示]
1 放送時間の移り変わり
2 番組概要
3 アシスタント
4 パネラー
5 番組の終焉とその後
6 愛ラブチャンス
6.1 開始当初
6.2 中期から末期
6.3 エピソード
7 スタッフ
8 主要なスポンサー
9 ネット局
10 関連項目
11 前後番組の変遷
[編集] 放送時間の移り変わり
※全てJSTで表記する。
1981年9月16日-1985年3月:水曜22:00-22:54
1985年4月-9月:月曜22:00-22:54 - 「夜のヒットスタジオDELUXE」開始に伴い放送日が移行。この時期は横山やすし・西川きよし司会の「スター爆笑Q&A」(NTV・よみうりテレビ制作)が裏番組であったため、「吉本同士でぶつけるのは…」との配慮から同時間帯としては半年の期間での放送となった。なお月10・読売枠では三枝がメイン司会を務めた「ザ・恋ピューター」が放送されていた。
1985年10月〜1995年9月26日:火曜22:00-22:54 - 関西テレビ制作の「影の軍団」シリーズと放送枠を交換
[編集] 番組概要
番組初期の番組名は「三枝の愛ラブクリニック」。毎回3組の視聴者夫婦(但し、特別企画の時はタレント夫婦または親子・タレントとそのマネージャーなど)の悩みを司会者とゲストコンサルタントの3人(主にタレント、または文化人。栢木寛照住職がよく出演)が解消するという内容のトーク番組。コンサルタント紹介時(「〜先生」と紹介される)に視聴者から寄せられたはがきでの悩み相談を紹介し、三枝が「どうしたら」と言った後、会場全員で「よいのでしょーか」というのが定番パターンだった(このはがきお悩み相談は番組初期にはなかった。)。番組最後には「愛ラブチャンス」があり、サイコロを投げてハート型のハワイマークのところにヒットすると、ボード上のセットから紙吹雪が吹き出して降り(末期は天井から紙吹雪を降らせ)、ハワイ旅行と賞金10万円を獲得出来るゲームがあった(番組開始当初はなく「愛ラブチャンス」は番組開始1年後にスタートした。詳しくは後述。)。番組初期では出場夫婦は2組で後半からはクイズコーナー「悩み求めて三千里」(アダ・マウロがレポーター)があって、そのあとに「愛ラブチャンス」があった。
番組後期は「スターお悩みクリニック」という、ゲストコンサルタントの1人の悩みを解消するコーナーがあった。なお最終回は司会の三枝が悩み役で、進行役を羽賀研二が勤めた。 また、当時の海部俊樹首相夫妻がプライベートで出演したこともある。また、当時の山口敏夫労働大臣も夫婦で出演していた。
番組開始から90年頃まで、関西テレビ本社(大阪市北区西天満)のスタジオで収録されていたが、その後、三枝のスケジュールが多忙になったことなどから、後期(1992年以降)は東京都世田谷区砧の東京メディアシティ内にある、関西テレビグループのレモンスタジオで収録された時期があった(それ以前は渋谷ビデオスタジオで収録した時期もあり)。なお、アシスタントの細川ふみえが「笑っていいとも!」のテレフォンショッキングに出演交渉された際、今からこの番組の収録で大阪に向かうところだと言っていたことからも、収録場所は三枝のスケジュールで変動していた模様である(エンドロールに「制作協力:レモンスタジオ」の表示がない放送回が該当。最終回も含む)。
年末年始特番や当時火曜日に放送されていた「FNS歌謡祭」の影響で放送時間が23時からの放送になった場合もしばしあった。また大晦日や元日、更に急遽報道特別番組に差し替え等の特例を除いて殆ど番組が休止になったことも無かった。
[編集] アシスタント
初代 - 三ツ矢歌子
2代目 - 山本みどり
3代目 - 秋野暢子
4代目 - 鮎川いずみ(1984年〜1985年)
5代目 - 朝丘雪路
6代目 - 市毛良枝
7代目 - 榊原郁恵(1987年〜1991年)
8代目 - 山瀬まみ(1991年〜1993年3月)
9代目 - 細川ふみえ(1993年4月〜1995年3月)
10代目 - 高木美保(1995年4月〜9月)
※三枝と山瀬は現在「新婚さんいらっしゃい!」で共演している。
[編集] パネラー
大島渚
山城新伍
桂ざこば ほか
[編集] 番組の終焉とその後
番組は1980年代後半〜1990年代前半は、前枠の「なるほど!ザ・ワールド」とともに高視聴率を取っていたが、89年ごろから「ギミア・ぶれいく」(TBS系)がスタートし、互角な戦いを繰り広げるものの、1994年に毎日放送(MBS)制作、TBS系列で「ジャングルTV 〜タモリの法則〜」(皮肉にも同じレモンスタジオで収録)がスタートしてからは視聴率が低迷し、1995年9月に14年に渡る歴史に幕を降ろした。最終回は22:00〜23:24までの90分拡大版で、華やかにフィナーレを飾った。関西地区では現在も続いている三枝の番組「新婚さんいらっしゃい!」と同じで、末期もまだ人気があった。
奇しくもこの番組の終了を受け、三枝がプライムタイムの時間帯にて司会を務める番組が全て姿を消した。
後継番組は「ひらけ!GOMA王国」だったが、視聴率低迷から半年で打ち切りとなってしまい、その後は連続ドラマが放送されており、バラエティ枠は月曜日に移動しフジテレビとの共同制作番組「SMAP×SMAP」が放送され現在に至る。また2006年11月27日放送のこちらの番組には三枝がゲスト出演。
[編集] 愛ラブチャンス
番組の最後にあった、出演した夫婦がハワイ旅行を獲得するゲーム。
[編集] 開始当初
開始当初は1~4のパネルで出場夫婦が1~4を選んでいた。パネルが開いて選んだ番号にハワイマークが出ればハワイ旅行獲得。ハートにヒビ入ったマークが出れば獲得ならずのゲームだったが、頻繁にハワイ旅行を獲得した夫婦が出ていた事からわずか1年でサイコロを投げる方式に変わった。
[編集] 中期から末期
出演した夫婦がサイコロを投げてハワイ旅行を獲得するゲーム。1982年のリニューアルから登場した。 6×6のボードに、アトランダムにハートマークを描いている。まず女性がサイコロを振り、サイコロの出目に対応した列(縦列)を確定させる。その次に男性がサイコロを振り、同様に横列を確定させる。その結果、つまりボードの交点にハートマークが描いてあればハワイ旅行獲得となる。 縦列にハートが書いてある確率は1/6〜2/3だった(6か所中1か所〜4か所)。 使用されたサイコロは、フジテレビ「ごきげんよう」のサイコロ以上に角が丸みを帯びたもので、なかなか目が確定せず、挑戦者や視聴者をハラハラさせる作りだった。
たいてい必ず1組はハワイ旅行が出たが、全組ハワイ旅行獲得や全組残念となったことが年に何度かあった。さらに、ハワイ旅行が獲得出来る可能性が1/6(6か所中1か所)しかなかったのに成功したことや逆に2/3(6か所中4か所)もあったのに失敗してしまったことも年に何度かあった。残念賞として週替りの賞品が貰えたが、最末期にダイヤモンドリングに固定され、ハワイ旅行が1組出た場合は視聴者の中から1名に「ダイヤモンドリング」をプレゼントされた。(3組がハワイ旅行獲得時は、視聴者の中から3名にダイヤモンドリングをプレゼントした。)
[編集] エピソード
三枝が「たけし・所のドラキュラが狙ってる」にゲスト出演した時に、セットをそっくりそのまま「ドラキュラチャンス」と言う名でゲームが行われていた。ボードの交点に書いていたハートマークは番組ロゴが記されている意外は、ジングルと番組のテーマもそのまま流れていた。
一時期ゲームセンターでそっくりそのまま、景品が当たるゲームも登場した。
数ある全組残念となった回の1つで、1990年3月20日放送分では、全組残念となった瞬間、榊原郁恵が「えー!?皆さん残念賞なのー!?」と叫んでいたり、残念賞紹介直後(その回は「家庭用コピー機」だった)に桂三枝がスタジオの床に置かれていたハートマークを強引に持ち上げて「がっかりーっ!!」と叫んでいたエピソードがあった。
[編集] スタッフ
プロデューサー:遠山伸彦
ディレクター:長嶋一郎、永田公春
構成:久世進、藤永暁
音楽:広瀬健次郎
制作著作:関西テレビ
[編集] 主要なスポンサー
ロート製薬
牛乳石鹸 - 「シャボン玉アワー」終了と同時に番組開始当初から1994年9月まで
P&G - 1994年10月から筆頭スポンサーとして
エステー化学(現 エステー)
モリ工業
丸大食品
毛染めパオン
グンゼ - 主に4月から6月までが多かった。
KINCHO - 主に7月から9月までが多かった。
メナード化粧品
サラヤ
三洋電機
象印マホービン
チョーヤ梅酒
エースバッグ ほか
補足
その他、大阪に本社がある企業が多い。
[編集] ネット局
下記の放送局は同時ネット
関西テレビ放送、フジテレビジョン、北海道文化放送、秋田テレビ(1987年4月〜)、岩手めんこいテレビ(1991年4月開局から)、仙台放送、新潟総合テレビ(1983年10月〜、それ以前は未放送だった)、長野放送、石川テレビ放送(1990年4月〜、それ以前は日テレ系の「土曜グランド劇場」放送の為時差放送)、テレビ静岡、東海テレビ放送、岡山放送、山陰中央テレビジョン放送、テレビ新広島、テレビ山口(1985年4月〜1987年9月)、テレビ愛媛(1985年4月〜※1993年ごろまでは時差放送だった)、テレビ西日本、サガテレビ、テレビ大分(1993年10月〜と月曜時代、また1990年代初頭は遅れネット)、テレビ長崎(1985年4月〜、それ以前は未放送だった)、テレビ熊本(1989年10月〜、それ以前は未放送だった)、鹿児島テレビ放送(1994年4月〜、それ以前は未放送だった)
時差放送
青森テレビ、山形テレビ(1993年3月まで)→テレビユー山形(1993年4月〜)、福島テレビ(「はまつアワー」として放送)、テレビ山梨、富山テレビ放送、福井テレビジョン放送、山口放送(1987年10月〜1993年3月)、四国放送、高知放送、テレビ宮崎、沖縄テレビ放送(火曜夜10時枠ではNTV「土曜グランド劇場」の時差放送をしていた)
※時差放送の局は、冒頭の「♪ロート…」のオープニングキャッチが省かれていたか(例:番組開始後にブルーバックで「この番組はロート製薬と、ご覧のスポンサーの提供でお送りします」との提供読み)、あるいはスポンサーが表示されなかった(PT)局が多かったと思われる(どの局だったかは不詳)。
[編集] 関連項目
バラエティ番組
新婚さんいらっしゃい!
SMAP×SMAP - 現在のロート製薬前半提供番組
[編集] 前後番組の変遷
フジテレビ系列 月曜22時台(関西テレビ制作枠。一部地域を除く)
前番組 番組名 次番組
夜のヒットスタジオ
(水曜21時台に移行) 三枝の愛ラブ!爆笑クリニック 影の軍団・幕末編
(火曜22時台から移行)
フジテレビ系列 火曜22時台(関西テレビ制作枠。一部地域を除く)
影の軍団IV
(月曜22時台に移行) 三枝の愛ラブ!爆笑クリニック ひらけ!GOMA王国
関西テレビ制作 ロート製薬前半提供枠
激突!お笑いルーレット 三枝の愛ラブ!爆笑クリニック ひらけ!GOMA王国
[表示]表・話・編・歴関西テレビ放送(KTV)
代表取締役会長:出馬迪男|代表取締役社長:片岡正志
主要項目(番組) 番組一覧・KTVニュース FNN・KTVワイドニュース FNN・KTVニュースフラッシュ FNN・アタック630・アタック600・アタック530・アタック ザ・ヒューマン・FNNスーパーニュースKANSAI・FNNスーパーニュースほっとKANSAI・FNNスーパーニュースANCHOR・痛快!エブリデイ・土曜朝のワイドショー・おはよう900・ハイ!土曜日です・DOサタデー・モーニングスタジオ・土曜!100%・モーニングアップル・シュートinサタデー・土曜大好き!830・土曜ぴーぷる・いつでも笑みを!・ベリーベリーサタデー!・うふふのぷ・にじいろジーン・新報道プレミアA(CXと共同制作)・火10ドラマ・SMAP×SMAP(CXと共同制作)・グータンヌーボ・さんまのまんま・ぶったま!・快傑えみちゃんねる・たかじん胸いっぱい・ムハハnoたかじん・トミーズのはらぺこキッチン 極・ナンボDEなんぼ・関ジャニ∞のジャニ勉・南パラZ!・DREAM競馬・月刊カンテレ批評・パンチDEデート・クイズDEデート・三枝の爆笑美女対談・三枝の愛ラブ!爆笑クリニック・ねるとん紅鯨団・新伍&紳助のあぶない話・カジノザウルス・ノックは無用!・花の新婚!カンピューター作戦・ノンストップゲーム・エンドレスナイト・素敵!KEI-SHU5・紳助の人間マンダラ・走れ!ガリバーくん・ふるさとZIP探偵団・服部半蔵・影の軍団・柳生一族の陰謀・どてらい男・眠狂四郎(田村正和版)・月10ドラマ・大奥(1968年・1983年の2回制作)・仮面の忍者 赤影・花王名人劇場・花王ファミリースペシャル・発掘!あるある大事典→発掘!あるある大事典II・裸の大将放浪記・阪急ドラマシリーズ・上方漫才大賞・R-1ぐらんぷり・ひらけ!GOMA王国
アナウンサー Category:関西テレビのアナウンサー
関連施設 レモンスタジオ(東京メディアシティ)
局マスコット ハチエモン
衛星放送事業 関西テレビ☆京都チャンネル
イベント 大阪国際女子マラソン・アマチュアトップコンサート
グループ企業 関西テレビライフ・メディアプルポ・関西テレビハッズ・関西テレビソフトウェア
系列放送局(FNN・FNS)
CX・THK・TNC・uhb・mit・OX・AKT・SAY・FTV・NST・NBS・BBT・ITC・ftb・SUT・TSK・OHK・tss・EBC・KSS・sts・KTN・TKU・TOS・UMK・KTS・OTV・BSフジ
番組販売を行っている
独立UHF局 GYT・GTV・TVS・CTC・tvk・GBS・MTV1
過去ネット関係に
あった放送局 KRT(現TBS)2・KBC3・STV4・YTS5・FCT6・HTV7・tys8
友好関係のある放送局 KBS京都9・OBC・FM802
資本及び友好関係の
ある主要企業(グループ)
阪急阪神HD/阪急阪神東宝グループ(阪急電鉄、東宝、阪神電鉄、H2Oリテイリング〔阪急百貨店、阪神百貨店、阪食〕、阪急リテールズ、阪急交通社、阪急阪神ホテルズ、阪急不動産、神戸電鉄、北神急行電鉄、北大阪急行電鉄、能勢電鉄、阪急バス、大阪空港交通、ベイ・コミュニケーションズ、エフエム・キタ、宝塚歌劇団、阪神タイガースなど)・フジサンケイグループ(産経新聞大阪本社、ニッポン放送、文化放送、ポニーキャニオン、大阪放送、フジサンケイグループ広告大賞)・オリックス(オリックス・バファローズ)・三菱UFJフィナンシャル・グループ(三菱東京UFJ銀行、三菱UFJニコス)・大和証券グループ本社(大和証券SMBC)・三井住友フィナンシャルグループ(三井住友銀行)・りそなホールディングス(りそな銀行)・スルッとKANSAI/PiTaPa加盟各社(大阪市交通局、近畿日本鉄道、京阪電気鉄道、南海電気鉄道、山陽電気鉄道、大阪府都市開発、神戸高速鉄道など)・武田薬品工業(千寿製薬、天藤製薬、日本製薬、あすか製薬、和光純薬工業、ワイス、ビオフェルミン製薬)・ロート製薬・マンダム・小林製薬・日本メナード化粧品・スズキ・江崎グリコ・ダイドードリンコ・ミズノ・帝人・日東電工・キッズプラザ大阪・吉本興業・松竹芸能・米朝事務所・ジャニーズ事務所・ホリプロ・メディアミックス・ジャパン・エックスワン・公共広告機構
関連項目 8・発掘!あるある大事典番組捏造事件・扇町駅・天満駅・キッズプラザ大阪
関連人物 村上七郎・杉本清・桑原征平・松本暢章・梅田淳・杉山一雄・千草宗一郎・苧木晃・馬場鉄志・毛利八郎・山本浩之・関純子・上沼恵美子・やしきたかじん・西条凡児・福井敏雄・舛田利雄・手塚治虫・澤田隆治・上岡龍太郎・横山ノック・明石家さんま・山城新伍・島田紳助・桂三枝・桂米朝・桂ざこば・桂南光・横山やすし・西川きよし・芦屋雁之助・入川保則・西郷輝彦・千葉真一・志穂美悦子・真田広之・板東英二・ばんばひろふみ・兵藤ゆき・清水圭・和泉修・大平サブロー・魚住りえ・桂きん枝・トミーズ・ハイヒール・清水国明・片岡鶴太郎・とんねるず・SMAP・関ジャニ∞・福留功男・堺正章・江角マキコ・篠原涼子・松嶋尚美・優香・内田恭子・蛯原友里・茂木健一郎・山口智充・ガレッジセール・森三中・西本幸雄・新藤栄作・岡本伊三美・大崎三男・田尾安志・片岡篤史・古田敦也・杉本なつみ
1THKと友好関係あり
2開局からJNN発足までの間一部番組をネット
3開局から1964年にTNCにネットチェンジするまで
41972年にuhbが開局するまで
51993年にANN系列にネットチェンジ
61970年の開局から1年半でFTVにネットチェンジ
71975年にtssが開局するまで
8現在も一部番組を時差ネットするなど友好関係は持続
9CXの資本あり。京都チャンネルとの共同製作番組の制作協力も手掛ける
[表示]表・話・編・歴ロート製薬
主な製品 ロート製薬の製品(メンソレータム1・ROHTO Zi:など)
現在放送中の
一社提供番組 SMAP×SMAP2・上原多香子のクロース トゥ ユー
過去の主な
一社提供番組 漫才教室・私はナンバーワン・アップダウンクイズ・底ぬけ脱線ゲーム・こりゃまた結構・お笑い頭の体操・万国びっくりショー・ほんものは誰だ?!・クイズダービー・三枝の愛ラブ!爆笑クリニック2・おもしろ博士クイズ・おもしろクイズBOX・大きなお世話だ・クイズ!!ひらめきパスワード3・ごきげん月曜7時半・クイズテレビずき
関連人物 山田安民・山田輝郎・井上豊太郎・今竹七郎・市村俊幸・八木治郎・小池清・大橋巨泉
関連項目 森下仁丹・テルモ・エムジーファーマ・近江兄弟社・山田スイミングクラブ・毎日放送・東京放送・フジテレビジョン・関西テレビ放送・ガンバ大阪・全東北民謡選手権大会・オープニングキャッチ・生野区
11975年に近江兄弟社からライセンス移譲
2前半のみ、後半は複数社提供31991年10月からは、ロート製薬を含む複数社提供
この「三枝の愛ラブ!爆笑クリニック」はテレビ番組に関連した書きかけ項目です。この記事を加筆、訂正などして下さる協力者 を求めています(ポータル テレビ/ウィキプロジェクト 放送番組)。
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%9E%9D%E3%81%AE%E6%84%9B%E3%83%A9%E3%83%96%21%E7%88%86%E7%AC%91%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF" より作成
カテゴリ: テレビ番組に関するスタブ | ロート製薬 | 関西テレビのバラエティ番組 | フジテレビのバラエティ番組 | トーク番組
作者:myka226
更新日:2008年6月2日 22時46分
こりゃまた結構
こりゃまた結構(こりゃまたけっこう)はTBS系列にて1967年10月7日から12月30日まで毎週土曜19:30〜20:00(当時関西地区のTBS系列局であったABCは時差ネット)に放送されたロート製薬一社提供のテレビドラマである。
目次 [非表示]
1 概要
2 レギュラー及びゲスト出演者
3 主なスタッフ
4 番組の入れ替わり
[編集] 概要
大橋巨泉主演のコメディドラマ。占い研究所所長・小吉役の巨泉が、怪しげなギャンブル占いで、町内に起こる事件を次々と解決していく。前作「窓からコンチワ」に引き続き、巨泉、左とん平、由美かおるらがレギュラー出演。毎回豪華なゲストも出演しドラマを彩った。
[編集] レギュラー及びゲスト出演者
大橋巨泉 …幸福研究所所長・小吉
左とん平
由美かおる
有島一郎
由利徹
蔵忠芳
藤村有弘
ミヤコ蝶々
フランキー堺
十朱久雄
佐山俊二
玉川良一
姫ゆり子
園佳也子
曽我町子
大原麗子
谷村昌彦
丹下キヨ子
磯野洋子
桜井センリ
伴淳三郎
青島幸男
徳永芽里
長谷川待子
都家かつ江
河津清三郎
平凡太郎
葉村エツコ
ザ・ドリフターズ
[編集] 主なスタッフ
構成:不明
脚本:松山善三
演出:不明
制作著作:TBS
[編集] 番組の入れ替わり
TBS系列 土曜19:30枠
前番組 番組名 次番組
窓からコンチワ
(1967.4.1-1967.9.30)
※ハウス食品一社提供枠 こりゃまた結構
(1967.10.7-1967.12.30) 新春グランド歌合戦
(1968.1.6-1.27)
※つなぎ番組
TBS系列 ロート製薬一社提供枠
青島幸男のおお!ながら君
(1967.8.14-1967.9.25)
※ここまでは月曜21:30枠で放送 こりゃまた結構
(1967.10.7-1967.12.30)
※ここから土曜19:30枠で放送 お笑い頭の体操
(1968.2.3-1975.12.27)
[隠す]表・話・編・歴ロート製薬
主な製品 ロート製薬の製品(メンソレータム1・ROHTO Zi:など)
現在放送中の
一社提供番組 SMAP×SMAP2・上原多香子のクロース トゥ ユー
過去の主な
一社提供番組 漫才教室・私はナンバーワン・アップダウンクイズ・底ぬけ脱線ゲーム・こりゃまた結構・お笑い頭の体操・万国びっくりショー・ほんものは誰だ?!・クイズダービー・三枝の愛ラブ!爆笑クリニック2・おもしろ博士クイズ・おもしろクイズBOX・大きなお世話だ・クイズ!!ひらめきパスワード3・ごきげん月曜7時半・クイズテレビずき
関連人物 山田安民・山田輝郎・井上豊太郎・今竹七郎・市村俊幸・八木治郎・小池清・大橋巨泉
関連項目 森下仁丹・テルモ・エムジーファーマ・近江兄弟社・山田スイミングクラブ・毎日放送・東京放送・フジテレビジョン・関西テレビ放送・ガンバ大阪・全東北民謡選手権大会・オープニングキャッチ・生野区
11975年に近江兄弟社からライセンス移譲
2前半のみ、後半は複数社提供31991年10月からは、ロート製薬を含む複数社提供
この「こりゃまた結構」はテレビ番組に関連した書きかけ項目です。この記事を加筆、訂正などして下さる協力者 を求めています(ポータル テレビ/ウィキプロジェクト 放送番組)。
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%93%E3%82%8A%E3%82%83%E3%81%BE%E3%81%9F%E7%B5%90%E6%A7%8B" より作成
カテゴリ: テレビ番組に関するスタブ | TBSのテレビドラマ | 1967年のテレビドラマ | ロート製薬
作者:myka226
更新日:2008年6月2日 22時45分
ごきげん月曜7時半
ごきげん!月曜7時半(-げつようしちじはん)は、前番組『大きなお世話だ』の後を引継ぎ、1986年2月3日〜1986年9月22日の毎週月曜日19:30〜20:00に、日本テレビ系で放送されたお笑いバラエティー番組で、日本テレビ系最後のロート製薬1社提供番組であった。
三宅裕司と 劇団SET がコントを披露するというコンセプトは、『大きなお世話だ』から変わってないが、新たに番組が結成したユニット『B・C・G(美少女カラフルギャング)』がエンディング・テーマ「いつも両親からイレられる200のCheck」を歌った。
目次 [非表示]
1 スタッフ
2 その他
3 NTV系列のロート製薬の提供番組について
4 番組の移り変わり
[編集] スタッフ
監修:河野洋、奥山?伸
構成:竹田康一郎、かとうまなぶ、大沢直行、長谷川勝士、西田公久
音楽監修:森雪之丞、窪田晴夫
音楽:マイティ・オペラ
振付:土居甫
美術:奥津徹夫、石附千秋
技術:鈴木康介
カメラ:鈴木博
音声:伊東聡
照明:佐野利喜男/佐藤隆(共立)
調整:斉藤智徳、河田稔
音楽効果:伊藤博
TK:大久保千代美、鈴木句美子
演出補:松本直樹、稲庭由美子、北村圭司郎、末岡俊一
制作補:佐久間宏則
演出:高木章雄
プロデューサー:庄司文雄
制作協力:出口孝臣(アミューズ)、前原雅勝(THE WORKS)
製作著作:日本テレビ
[編集] その他
ドラマ『セーラー服反逆同盟』からアニメ『YAWARA!』(よみうりテレビ制作)まではロート製薬ほか複数社の提供になった。「YAWARA!」の放送期間途中にロート製薬が降板し、現在の「名探偵コナン」まで複数社の提供が続いている。
[編集] NTV系列のロート製薬の提供番組について
「NNNライブオンネットワーク」、「それは秘密です!!」(最未期の筆頭スポンサー)、「NNNきょうの出来事」、「ズームイン!!朝!」、「午後は○○おもいッきりテレビ」、「おもいッきりイイ!!テレビ」(隔日)といった番組に兼任し、現在は「モクスペ」、「恋のから騒ぎ」、「ウェークアップ!ぷらす」、「ヤッターマン」の提供を務めている。
[編集] 番組の移り変わり
日本テレビ系 月曜19時台後半ロート製薬提供枠
前番組 番組名 次番組
大きなお世話だ! ごきげん月曜7時半 枠消滅
日本テレビ系 月曜19時台後半(ロート他複数社提供枠)
- - セーラー服反逆同盟
[隠す]表・話・編・歴ロート製薬
主な製品 ロート製薬の製品(メンソレータム1・ROHTO Zi:など)
現在放送中の
一社提供番組 SMAP×SMAP2・上原多香子のクロース トゥ ユー
過去の主な
一社提供番組 漫才教室・私はナンバーワン・アップダウンクイズ・底ぬけ脱線ゲーム・こりゃまた結構・お笑い頭の体操・万国びっくりショー・ほんものは誰だ?!・クイズダービー・三枝の愛ラブ!爆笑クリニック2・おもしろ博士クイズ・おもしろクイズBOX・大きなお世話だ・クイズ!!ひらめきパスワード3・ごきげん月曜7時半・クイズテレビずき
関連人物 山田安民・山田輝郎・井上豊太郎・今竹七郎・市村俊幸・八木治郎・小池清・大橋巨泉
関連項目 森下仁丹・テルモ・エムジーファーマ・近江兄弟社・山田スイミングクラブ・毎日放送・東京放送・フジテレビジョン・関西テレビ放送・ガンバ大阪・全東北民謡選手権大会・オープニングキャッチ・生野区
11975年に近江兄弟社からライセンス移譲
2前半のみ、後半は複数社提供31991年10月からは、ロート製薬を含む複数社提供
この「ごきげん月曜7時半」はテレビ番組に関連した書きかけ項目です。この記事を加筆、訂正などして下さる協力者 を求めています(ポータル テレビ/ウィキプロジェクト 放送番組)。
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%94%E3%81%8D%E3%81%92%E3%82%93%E6%9C%88%E6%9B%9C7%E6%99%82%E5%8D%8A" より作成
カテゴリ: テレビ番組に関するスタブ | 日本テレビのバラエティ番組 | ロート製薬
作者:myka226
更新日:2008年6月2日 22時45分
激突!お笑いルーレット
『激突!お笑いルーレット』(げきとつ おわらいるーれっと)は、関西テレビ・フジテレビ系列で放送されていたテレビ番組で、お笑いバラエティ番組。1981年4月1日〜9月2日にかけて水曜日の夜10:00〜10:54に放送。前番組は『相性診断!あなたと私はピッタンコ』→『相性診断!ザ・ピッタンコ』で、後番組は『三枝の愛ラブ!爆笑クリニック』。前半部分のみロート製薬の1社提供だった(後半は複数社提供、この体制は『SMAP×SMAP』に引き継がれている)。
[編集] 内容
東西お笑い芸人による演芸合戦。「ネタ・ボード」と呼ばれる表示板に書かれた38個(1〜36,0,00)の「題」の中からルーレットで選ばれた2つの無関係の「題」をもとに3分間で漫才や落語を演じる。
それぞれの芸に対し4人の審査員が持ち点25点の計100点満点で採点する。それを第4回戦まで行い合計得点の多いチームが勝ちとなる。
勝利チーム、および最高得点を挙げた芸人には、ルーレットをかたどったトロフィーと賞金が贈られた。
[編集] 出演
司会:上岡龍太郎、マッハ文朱
ザ・ぼんち
今いくよ・くるよ
ゆーとぴあ
B&B
西川のりお・上方よしお
春やすこ・けいこ
太平サブロー・シロー
おぼん・こぼん etc…
[編集] わずか5ヶ月で終了
しかしながら、強力な裏番組「特捜最前線」(テレビ朝日系)などにことごとく視聴率を奪われたこともあり、改編期より約1ヵ月早い9月2日をもって打ち切られ、『三枝の愛ラブ!爆笑クリニック』に引き継がれた。
関西テレビ系 ロート製薬前半提供枠
前番組 番組名 次番組
相性診断!ザ・ピッタンコ 激突!お笑いルーレット 三枝の愛ラブ!爆笑クリニック
この「激突!お笑いルーレット」はテレビ番組に関連した書きかけ項目です。この記事を加筆、訂正などして下さる協力者 を求めています(ポータル テレビ/ウィキプロジェクト 放送番組)。
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カテゴリ: テレビ番組に関するスタブ | 関西テレビのバラエティ番組 | ロート製薬
作者:myka226
更新日:2008年6月2日 22時33分
クイズ!!ひらめきパスワード
『クイズ!!ひらめきパスワード』は、MBS(毎日放送)制作、TBSテレビ系列で放送されたトークショーを兼ねたクイズ番組。
22年・1046回以上続いた『アップダウンクイズ』の後継番組として、1985年10月13日[1]~1992年3月29日まで、毎週日曜19:00〜19:30(日本時間)に放送されていた。番組開始から長らくロート製薬の一社提供であったが、1991年10月から最終回までは同社を含む複数社提供に移行している。
『アップダウンクイズ』と異なり、放送開始から最終回までステレオで放送された[2]。
目次 [非表示]
1 概要
1.1 番組の概要
1.2 特番
1.3 番組の終焉
2 番組の流れ
2.1 視聴者参加型時代のルール
2.2 視聴者参加廃止以降(1986年4月〜1990年12月)のルール
2.3 山城新伍時代(1991年1月から〜最終回)のルール
3 歴代司会者
4 主な歴代出演者
5 アシスタント
6 制作スタッフ
7 スポンサー
8 オープニング(OP)とエンディング(ED)、及び提供読み
8.1 初期(番組放送開始〜1986年3月)
8.2 中期(1986年4月〜1989年3月[10])
8.3 後期(1989年4月〜1991年9月)
8.4 最末期(1991年10月〜番組最終回)
9 放映ネット局
10 その他特記事項
11 番組の移り変わり
12 脚注
[編集] 概要
[編集] 番組の概要
番組放送開始から1990年12月23日放送分までは当時『すてきな出逢い いい朝8時』の司会で人気を博し、全国的に知名度もあったMBSのアナウンサー・野村啓司が司会を担当。1991年1月6日(実質は正月スペシャルから)から最終回までは山城新伍が司会を担当し、「山城新伍のクイズ!!ひらめきパスワード」として放送された。
放送開始から翌1986年3月23日放送分[3]までは視聴者参加型の番組だったが、同年4月6日放送分から、タレントらが参加し対決し合う番組へと移行。タレント対決型方式への移行後は、板東英二(第1回の視聴者参加時代からチームキャプテンとして出演・野村と同時期に降板)や島田紳助(タレントオンリー時代からの出演・山城期にキャプテンに昇格)ら関西の芸能人達を起用。彼らの関西芸人らしいトークやツッコミ、そして司会者・野村の軽快な番組進行が視聴者達に受けた。特に関西では高視聴率を得て、裏番組のテレビ東京『ヤンヤン歌うスタジオ』を終了に追い込むほどまでに人気を得た。
視聴者参加型方式から芸能人対決型方式へと変更する手法は、TBS『ぴったんこカン・カン』でも受け継がれ、現在でも用いられている。
[編集] 特番
1990年1月3日の14:00~14:55、及び1991年1月3日の12:00~13:00には、昼の1時間スペシャルが放送された。
1990年放送分では、板東英二、島田紳助、ラサール石井らがキャプテンを務め、男性各3人チーム、女性各3人チームの総計18人で争われた。
1991年放送分では、番組本編に先駆けて司会担当者が野村啓司から山城新伍へと交代。板東英二、島田紳助、大島智子(現・大島さと子)、由紀さおりらがそれぞれキャプテンを務め、新旧キャプテン4チーム(各チーム4人・総計16人)で争われた。セットのリニューアルで解答者席に早押しボタンがなかったため、出演者全員が「解答者席に早押しボタンがない!」とぼやき、山城は「今までの番組は捨てなさい!」と相打ちのツッコミを入れていた。
ちなみに1990年・1991年とも、60分通してロートの1社提供[4]だった。
[編集] 番組の終焉
山城新伍司会時代もロート製薬一社提供時代は、まだ人気は安定していた。しかし、ロート製薬を含む複数社提供となった1991年10月頃から番組のマンネリ化が進展するようになった。それでも視聴率の面ではいくらか安定していたものの、裏番組の『7時のニュース[5]』(NHK)、『キテレツ大百科』(フジテレビ系)や1991年10月に放送開始された『ザ・ラスベガス』(ytv'制作日本テレビ系[6])が視聴率の面で追い上げていたことや、当時のTBS社長・磯崎洋三がTBSの大改革を主張したこともあり、番組は翌年3月29日をもって6年半の歴史に幕を閉じた。
その後、ロート製薬の提供枠は30秒に縮小され、同じく日曜夜10時枠で同年4月から開始された『たけし・所のドラキュラが狙ってる』へと移行したが、視聴率の回復が望めず数か月で撤退した。これに伴い、『私はナンバーワン』以来30年3か月・3代続いた、(末期の複数社提供を含む)MBS制作のロート製薬提供・放送時枠は本番組の終了をもって廃止されている。
[編集] 番組の流れ
[編集] 視聴者参加型時代のルール
男性視聴者チームと女性視聴者チームによる対抗戦。1チーム3人で、それぞれのチームに芸能人が1人ずつキャプテンとして参加。
前半戦はキャプテンのヒントからブランチと呼ばれる小キーワードを当てる形式。ブランチの言葉を正解したチームは、そのブランチから想像されるパスワードを全員で推理して答える。
後半戦はチーム戦。1ブランチの文字数分(最小3文字、最大9文字)のマスが表示され、アトランダムに1マスずつ開いて行き、分かった時点でボタンを押す。正解が出るまで解答出来た。ブランチの言葉を正解すればまず20点を獲得出来る(最後まで正解が無かったらノーカウント)。ブランチの言葉を正解したチームは、そのブランチから想像されるパスワードを全員で推理して答える。
得点は、第1ブランチで正解すれば500点、第2ブランチで400点と以下100点ずつ減っていき、最後の第5ブランチで正解すれば100点が獲得できた。この得点方式は前半戦・後半戦共通だった。[7]
視聴者参加型番組の頃は、勝利チームがハワイ旅行をかけた「チャレンジクイズ」が行われていた。出場者(キャプテン除く)3人が出題ボードの裏側に隠された「パ」「ス」「ワ」「ー」「ド」と書かれた5枚のパネルから、どれか1つパネルの文字をコールするとパネルが開いて1〜5までの番号が現れる。同時にブランチボードが移動し、後方に「CHARENGE QIZU」が書いたセットが現れ、それにある番号と対応したブランチが3つが開く。3つのブランチからパスワードを正解すると、天井から銀色の紙吹雪が降りハワイ旅行を獲得出来た。ちなみに賞品がハワイ旅行なのは「アップダウンクイズ」からの流れである[8]。芸能人オンリー以降から野村が降板するまで後方のセットがお蔵入りとなり、OPとEDにその遺構が写っていた。
賞金については、勝利チーム全員に1人10万円ずつ、負けチーム全員に1人100点につき5,000円が贈られた。
[編集] 視聴者参加廃止以降(1986年4月〜1990年12月)のルール
男性チーム(4人)と女性チーム(4人)の対抗戦。
オープニングコーナーは司会から提示された言葉を並べ替えて人名を当てる。正解すれば100点。2問出題。
前半戦は1対1の個人戦で、開かれたブランチからパスワード(メインキーワード)を早押しで当てる。[9]
後半戦は視聴者参加時代と同じであるが、ブランチの言葉を正解した時の得点が50点となる。
この時から「チャレンジクイズ」は廃止され、勝利チームには放送回の問題にちなんだ豪華賞品が贈呈された(季節の豪華食材セットの回もあり)。そして、野村時代はパーフェクト(相手チームの得点を最終的に0点にした場合、すなわち、1問も正解させなかったの意味。野球で言えばパーフェクトゲームに相当する。)、山城時代は3000点以上得点して勝てば勝利チームにハワイ旅行がプレゼントされた。野村時代はパーフェクト達成しなかったが、1991年4月14日の放送で女性軍が3000点を突破したため、ハワイ旅行がプレゼントされた。達成した瞬間は山城も驚いていた。
[編集] 山城新伍時代(1991年1月から〜最終回)のルール
オープニングコーナーは「ひらめき新伍」。チーム対戦形式で3つのブランチからパスワードを当てる。2問出題。
前半戦は4つのジャンルから1つを選択し、司会者のヒントからブランチを早押し(1:1方式)で当てる形式。正解した方がパスワードの解答権を得る。
後半戦は野村時代の前半戦を移動したものであるが、「チャンスカード」を提示するとその問題で正解した場合得点が2倍になる。
[編集] 歴代司会者
野村啓司 - (毎日放送アナウンサー、初代)
山城新伍 - (2代目、1991年1月6日〜1992年3月29日)
[編集] 主な歴代出演者
板東英二 - 初代男性キャプテン、第1回からの解答者。
島田紳助 - 2代目男性キャプテン、芸能人による対決からの解答者。
山咲千里 - 初代女性キャプテン、視聴者参加型時代のみに出演。
多岐川裕美 - 2代目女性キャプテン。
上村香子 - 3代目女性キャプテン。
由紀さおり - 4代目女性キャプテン。
大島智子(現・大島さと子) - 5代目女性キャプテン、2代目キャプテン・多岐川裕美時代からの解答者。
ラサール石井
萬田久子
マッハ文朱
堀江しのぶ - 病気療養の為一時出演休止していたが、後に癌で死去。最後のテレビ出演番組となった。
原田大二郎
あおい輝彦
大和田獏
中山秀征
根本りつ子
岩井由紀子 - 当時、ゆうゆとして出演。
松居直美ほか
[編集] アシスタント
浅野まゆか(野村期)
高井美紀(MBSアナウンサー・山城期前期)声出しはなく、タイトルコールや番組最後の視聴者プレゼント紹介などの雑用担当。
西田久美子(山城期後期)…前任者の高井と同様にタイトルコールや視聴者プレゼントの告知を担当していた。
[編集] 制作スタッフ
※番組のタイトルロゴは前番組『アップダウンクイズ』と同様、五荘千尋が担当していた
(野村期)
構成:金子俊彦、河村達樹、本田順一、宇野宇
音楽:井上堯之
ディレクター:豊田修二
プロデューサー:柳川正邦
※金子は「アップダウンクイズ」の構成、柳川は同番組のプロデューサーを最終回まで担当。
製作著作:毎日放送
(山城期)
構成:金子俊彦、河村達樹、池田裕幾
音楽:井上堯之
ディレクター:西本武
演出:三村景一
プロデューサー:豊田修二
制作(チーフプロデューサー):渡辺一雄
製作著作:毎日放送
[編集] スポンサー
前番組『アップダウンクイズ』から引き続き、長らくロート製薬の一社提供であったが、1991年10月から最終回までは同社を含む複数社提供となった。この為タイトルコールは、司会担当者が野村啓司だった頃は「ロート製薬提供、クイズ!!ひらめきパスワード」だったのに対し、司会担当者が山城新伍へと移行してからは「ロート製薬提供、山城新伍のクイズ!!ひらめきパスワード」、さらにその後「山城新伍のクイズ!!ひらめきパスワード」となった。また、野村期では司会の野村自身がタイトルコールを担当していたのに対し、山城期ではタイトルコールは司会の山城ではなく、番組のアシスタントを務めていた高井美紀(末期は西田久美子)が担当した。この流れは、前身番組である『アップダウンクイズ』の末期から受け継がれた。
ヒッチハイクは長年に渡り毛染めパオン(山発産業、現・シュワルツコフヘンケル)とエースコック(後に森永乳業)が務めた。また、毎年7月から9月頃まではKINCHOのヒッチハイクが多かった。
[編集] オープニング(OP)とエンディング(ED)、及び提供読み
[編集] 初期(番組放送開始〜1986年3月)
OP:「♪ロート…」のオープニング。番組名とスポンサー名を同時に表示。
ED:「クイズ!!ひらめきパスワードを終わります。提供はロート製薬でございました。」 - MBSアナウンサー・吉田智子によるナレーション。エンドカードは「クイズ!!ひらめきパスワード 終」。
[編集] 中期(1986年4月〜1989年3月[10])
OP:「♪ロート…」のオープニング(初期と同じ)
ED1:「この番組は、ロート製薬の提供でお送りしました。」 - MBSアナウンサー・吉田智子によるナレーション。
ED2:「クイズ!!ひらめきパスワード 終」のエンドカード+4月の番組改編以降にTBS・MBS系ゴールデンタイム・プライムタイム全国ネット番組のEDタイトルバックに設けられたチャイム音とともに、
ワイプで次の番組紹介(続いて『テレビ探偵団』の画面)をするようになった。
[編集] 後期(1989年4月〜1991年9月)
OP:「♪ロート…」のオープニング。ロゴマークが変更、番組名とスポンサー名は別々に表示。
ED1:「健やかな明日のために、ロート製薬の提供でした」 - 固定の女性の声によるナレーション。
ED2:中期と同じく「クイズ!!ひらめきパスワード 終」のエンドカード+チャイム音 ― TBS系『クイズダービー』『クイズテレビずき』の時も同じパターンだった)。
[編集] 最末期(1991年10月〜番組最終回)
OP1:「♪ロート…」のオープニング無し(番組タイトルロゴを表示)
OP2:「この番組はロート製薬と、ご覧の各社の提供でお送りします。」 - MBSアナウンサー・小堀豊子によるナレーション。
ED:「この番組はロート製薬と、ご覧の各社の提供でお送りしました。」 - 小堀アナによるナレーション⇒「クイズ!!ひらめきパスワード 終」のエンドカード+チャイム音
[編集] 放映ネット局
毎日放送(制作局)
北海道放送
青森テレビ
岩手放送
東北放送
テレビユー山形[11]
テレビユー福島
TBSテレビ[12]
新潟放送
信越放送
テレビ山梨
北陸放送
チューリップテレビ[13]
静岡放送
中部日本放送
山陰放送
山陽放送
中国放送
テレビ山口
テレビ高知
RKB毎日放送
長崎放送
熊本放送
大分放送
宮崎放送
南日本放送
琉球放送
この番組も比較的人気があったにもかかわらず、上記のとおり放送期間中にJNN系列(いわゆるTBSテレビ系列局)がなかった秋田県[14]、福井県[15]、徳島県[16]、愛媛県[17]、佐賀県[18]では、一度も放送されなかった。
<太字の地域は、2008年現在もJNN系列局が存在しない地域である。>
[編集] その他特記事項
山城新伍と野村啓司は、京都府立山城高等学校の先輩後輩という関係にある。『すてきな出逢い いい朝8時』で、野村は「山城さんは、僕の先輩ですから」と語っていた。
1986年7月〜1987年9月にかけ、読売テレビでは『クイズ・マネーイズマネー』が放送されていた。ひらめきパスワードとはライバル関係にあったこの番組で司会を務めていた山城新伍が、後にひらめきパスワードで2代目司会を務めるという珍しい現象が生じている。
番組放送開始当初よりしばらくは、早押しや正解のチャイムに電子音を使用していたが、芸能人対決に移行して数ヶ月で通常のチャイムに変更された。同時にその他の効果音も変更され、特に誤答と時間切れのブザーはアップダウンクイズで使用されていたものに似た音となった。早押しボタンのチャイム音も男性チームと女性チームで音程が微妙に違っていた(男性チームは低く、女性チームは高い)。
『アップダウンクイズ』と同様、MBSが関西ローカルでプロ野球中継を放送している日は、TBSテレビ及び番組ネット局向けに裏送りで放送していた。
特に、板東と紳助のやりとりが爆笑を誘った。
男性軍がなかなか勝てないことがあったが、メンバーが野村に対して「果ては、女性軍に問題を教えているのでは?」と言うと、野村は「いいえ!問題は一切漏れておりません!!」と発言したエピソードがあった。
全てのクイズが終了し、最終結果を野村が発表する際、本来は男性軍の勝ちなのにもかかわらず、「〇〇対〇〇で、女性軍の勝ち!!」と言ってしまい、野村が板東から突き飛ばされながらツッコミを入れられた。
[編集] 番組の移り変わり
1992年4月26日以降、同枠ではTBS制作の『さんまのからくりTV』が放送開始。
MBS制作枠は、『そんなコロッケな!?』→『コロッケ!!噂の芸能界』等を放送していたTBS制作木曜19時後半枠と交代する形で、木曜19:30〜20:00へと移動。1992年4月16日から半年間『近藤正臣の味覚人情報』が放送された。その後、同じTBSテレビ制作の『料理天国』などを放送していた枠とまた入れ替わって土曜18:00〜18:30に移動し、1992年10月3日から『新伍のワガママ大百科』を放送。さらにその後の1993年7月3日より、バラエティからは撤退してテレビアニメや特撮の制作・放送に着手するようになった。そして、『機動戦士ガンダム00』まで15年半続いた放送枠は、2008年4月6日より同じTBS制作の『JNN報道特集』改め『報道特集NEXT』とまた入れ替わって日曜17:00〜17:30へ移動[19]。現在放送中のテレビアニメ『コードギアス 反逆のルルーシュR2』に至る。
TBSテレビ系 日曜19時台前半
前番組 番組名 次番組
アップダウンクイズ クイズ!!ひらめきパスワード
(本番組まで毎日放送制作枠) さんまのからくりTV
(ここからTBSテレビ制作、
武田薬品グループ提供枠)
毎日放送制作・TBSテレビ系 日曜19:00、ロート製薬一社提供枠
アップダウンクイズ クイズ!!ひらめきパスワード (終了)
[編集] 脚注
^ 同じ日の毎日新聞(関東・関西)の番組広告には「アップダウンの血統を引く〇優クイズ番組」のキャッチフレーズ、及び第1回の問題が出ていた。
^ ステレオ放送のテロップ表示は系列各局別で表示していた。
^ 1週間後、裏番組だったABCテレビ(朝日放送)制作・テレビ朝日系の「世界一周双六ゲーム」が終了している。同番組は1983年3月に日曜19時台進出後、アップダウンクイズと視聴率を奪い合い、ついには終了に追い込んだ。
^ 製薬会社は、薬事法や公正競争規約等の規制ではなく、業界の紳士協定により、通常のテレビ番組については、30分を超えて製薬会社1社が単独提供を行わないように自主的に規制しているが、スペシャル番組の場合は、例外的に30分を超える時間でも製薬会社1社が単独提供を行うことが認められていた。この例は、同じロート1社提供で、『アップダウンクイズ』の新春1時間スペシャル(1981年)をはじめ、TBSテレビ系の『クイズダービー』の新春スペシャル、NTV系の『おもしろクイズBOX』のお正月スペシャル(1984年・1985年)などでも一社単独提供の事例がみられる。
^ 現在のNHKニュース7。同時は20分間だった。
^ 『地球キャッチミー』(ABCテレビ制作テレビ朝日系)や『クイズ百点満点』(NHK)等も同じ裏番組に当たるが、この番組への影響性は不詳。
^ 山城時代ではオープニングと前半戦はブランチが3つしかない関係で第1ブランチで正解した場合の得点は300点。以降200点、100点と減っていく。
^ 視聴者参加番組だった半年間、チャレンジクイズ制覇チームへのハワイ旅行は、アップダウンクイズと同様に日航の協賛だったが、日航機墜落事故の影響で海外旅行が一時期敬遠されたことから、協賛のテロップはほとんど表示されなかった。
^ 最初の問題に入る前に、あらかじめメンバーの出場順が決められた対戦表が両チームのキャプテンから司会に渡され、それをもとに対戦を行う。
^ ただし1988年9月中旬から1989年1月までの間は、昭和天皇が病を患い崩御したことに配慮し、「♪ロート…」で始まるオープニングは休止され、テーマ曲+「この番組はロート製薬の提供でお送りします」のパターンへと変更された。当時放送されていた他のロート1社提供番組(TBS系のクイズダービーやフジテレビ系の三枝の愛ラブ!爆笑クリニック)も、同様の措置が取られている。
^ 1989年10月開局〜最終回まで。
^ キー局。
^ 1990年10月開局〜最終回まで。
^ 一部地域は、青森テレビ、IBC岩手放送、テレビユー山形のいずれかが受信可能なら視聴できた。
^ 北陸放送、中部日本放送、毎日放送のいずれかが受信可能なら視聴できた。
^ 大半の地域で毎日放送が受信可能だったので視聴できたうえ、同県西部では山陽放送が受信可能なら視聴できた。
^ 中国放送、山陽放送、テレビ山口、大分放送のいずれかが受信可能なら視聴できた。ちなみに現在はあいテレビが開局しているが、この番組が放送されていた期間はまだJNN系局は無かった。
^ RKB毎日放送、長崎放送、熊本放送のいずれかを受信可能なら視聴できた。
^ つまり実質上日曜日への返り咲きを果たした。
[表示]表・話・編・歴ロート製薬
主な製品 ロート製薬の製品(メンソレータム1・ROHTO Zi:など)
現在放送中の
一社提供番組 SMAP×SMAP2・上原多香子のクロース トゥ ユー
過去の主な
一社提供番組 漫才教室・私はナンバーワン・アップダウンクイズ・底ぬけ脱線ゲーム・こりゃまた結構・お笑い頭の体操・万国びっくりショー・ほんものは誰だ?!・クイズダービー・三枝の愛ラブ!爆笑クリニック2・おもしろ博士クイズ・おもしろクイズBOX・大きなお世話だ・クイズ!!ひらめきパスワード3・ごきげん月曜7時半・クイズテレビずき
関連人物 山田安民・山田輝郎・井上豊太郎・今竹七郎・市村俊幸・八木治郎・小池清・大橋巨泉
関連項目 森下仁丹・テルモ・エムジーファーマ・近江兄弟社・山田スイミングクラブ・毎日放送・東京放送・フジテレビジョン・関西テレビ放送・ガンバ大阪・全東北民謡選手権大会・オープニングキャッチ・生野区
11975年に近江兄弟社からライセンス移譲
2前半のみ、後半は複数社提供31991年10月からは、ロート製薬を含む複数社提供
[表示]表・話・編・歴毎日放送(MBS)
代表取締役会長:山本雅弘 | 代表取締役社長:河内一友
放送施設 MBSスタジオ in USJ・千里丘放送センター・千里丘ミリカセンター
テレビ放送部門 毎日放送テレビ番組一覧・毎日放送テレビ制作スタッフ一覧・生駒山テレビ・FM送信所・関西ローカル
アニメ Category:毎日放送のテレビアニメ
ラジオ放送部門 MBSラジオ・毎日放送ラジオ番組一覧・毎日放送高石ラジオ送信所・なんばパークスサテライトスタジオ PaRa Para MBS
アナウンサー Category:毎日放送のアナウンサー
関連施設 シアターBRAVA!・ミリカホール
キャラクター らいよんチャン
グループ企業 MBS企画・ミリカ・ミュージック・放送映画製作所・GAORA
イベント オーサカキング・ラジオウォーク・MBSラジオ秋まつり・音舞台・サントリー1万人の第九・神戸コレクション
友好関係のある企業
(企業グループ)
毎日新聞社(大阪本社)・スポーツニッポン新聞社・住友グループ(住友商事、日本電気など)・阪急阪神東宝グループ(阪急電鉄、阪神電気鉄道、阪急百貨店、阪神百貨店、東宝、阪神タイガース)・日本生命保険・野村ホールディングス・りそなホールディングス(りそな銀行、近畿大阪銀行)・三菱UFJフィナンシャル・グループ・松下グループ(松下電器産業、松下電工、パナホーム)・ソニー(ソニー・ミュージック、アニプレックス)・ユニバーサル・スタジオ・ジャパン・吉本興業・松竹芸能・近畿日本鉄道・南海電気鉄道・京阪電気鉄道・東洋紡績・積水化学工業・積水ハウス・大林組・大和ハウス工業・東レ・ハウス食品・日清食品・アサヒビール・サントリー・江崎グリコ・ロート製薬・武田薬品工業(千寿製薬、天藤製薬、日本製薬、あすか製薬、和光純薬工業、ワイス、ビオフェルミン製薬)・田辺三菱製薬・小林製薬・大幸薬品・関西電力・大阪ガス・大丸・コクヨ
系列放送局(ラ・テ兼営)1 TBS(ラジオ)・CBC(ラジオ)・RKB(ラジオ)・HBC(ラジオ)・IBC・TBC・BSN・SBC・MRO・SBS・BSS・RSK・RCC・NBC(ラジオ佐賀)・RKK・OBS・MRT・MBC・RBC
系列放送局(ラ・テ兼営)2 ABC・KBC・RAB・ABS・YBC・YBS・KNB・FBC・KBS京都(KBS滋賀)・KRY・JRT・RNC・RNB・RKC
系列放送局(テレビ単営局、JNN) ATV・TUY・TUF・UTY・TUT・tys・ITV・KUTV
系列放送局(ラジオ単営局、NRN) QR・LF・OBC(フジサンケイグループ)・SF・STV・RFC・IBS・CRT・WBS・ROK
過去の系列放送局3 CX・EX・TX・KBC4・THK・NBN(メ〜テレ)・CTV・HTB・AKT・TVI・OX・MMT・FTV・FCT・NST・NKT・OHK・HOME・KSB・TKU・TOS・UMK・KTS・CRK5
資本が入っている
系列外放送局 TX(TXNキー局)・OHK(CX・FNN/FNS系)・HOME(EX・ANN系)・KSB(EX・ANN系)・FM802(JFL系)
友好関係のある放送局 FM802(JFL系列)・Kiss FM KOBE(JFN系)・CRK5・RF6(独立ラジオ局)
関連項目 4・JNN・JRN・排他協定・NRN(ニッポン放送・文化放送)・選抜高校野球・全国高校ラグビー・毎日甲子園ボウル・大阪市(茶屋町・大阪市問題・カラ残業)
関連人物 高橋信三・斎藤守慶・八木治郎・三澤肇・高井美紀・上泉雄一・西靖・野村啓司・平松邦夫・小池清・井上光央・斎藤努・水谷勝海・城野昭・角淳一・竹中文博・渡辺高志・田中文夫・三村景一・竹田菁滋・石田英司・近藤光史・佐々木美絵・子守康範・桂三枝・板東英二・明石家さんま・島田紳助・上沼恵美子・やしきたかじん・山城新伍・浜村淳・馬場章夫・川村龍一・豊島美雪・桜井一枝・河内家菊水丸・トミーズ・ハイヒール・笑福亭鶴瓶・笑福亭鶴光・笑福亭仁鶴・桂文珍・月亭八方・桂きん枝・横山やすし・西川きよし・桂ざこば・川内康範・市原悦子・常田富士男・石ノ森章太郎・平山亨・藤岡弘、・佐々木剛・宮内洋・村上弘明・小林昭二・塚本信夫・天本英世・長谷有洋・飯島真理・保志総一朗・石田彰・朴璐美・鈴村健一・喜多村英梨・藤原啓治・斎賀みつき・宮野真守・三瓶由布子・名塚佳織・日野聡・釘宮理恵・川澄綾子・福山潤・櫻井孝宏・ゆかな・小清水亜美・大橋巨泉・徳光和夫・石坂浩二・小倉智昭・中尾彬・ビートたけし・タモリ・所ジョージ・石橋貴明・うつみ宮土理・研ナオコ・オセロ・谷村新司・ばんばひろふみ・原田伸郎・岩崎宏美・石川優子・大津びわ子・嘉門達夫・ぜんじろう・大桃美代子・水野真紀・井川遥・勝谷誠彦・中村敦夫・村上龍・杉浦忠・安藤統男・一枝修平・アルフレッド・リード・太田幸司・亀山つとむ・佐々木恭介・八木裕・窪田等・葉加瀬太郎・小松亮太・中村勝広
1テレビはJNN系列、ラジオがJRN系列のラテ兼営局(ラジオにおいてはNRN(系列)とのクロスネットも含む。)
2テレビはJNN以外の他系列(NNN系列など、または系列に属さない独立局も含まれる)、ラジオがJRN系列のラテ兼営局(ラジオにおいてはNRN(系列)とのクロスネットも含む。)
3CRK以外はテレビ局でのネットワーク。
4テレビネットのみ。ラジオネットワークは継続中(NRN)
5かつてはNRN系列。土曜日を中心にラジオ関西へ競馬中継で実況を裏送りする場合がある。
6旧毎日新聞関連局(今は日本テレビ関連企業)。RF向けに競馬中継実況を送出(一部のレース以外)。
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%A4%E3%82%BA%21%21%E3%81%B2%E3%82%89%E3%82%81%E3%81%8D%E3%83%91%E3%82%B9%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%89" より作成
カテゴリ: 毎日放送のクイズ番組 | 毎日放送のテレビ番組 | TBS系テレビ番組 | TBSのクイズ番組 | ロート製薬
作者:myka226
更新日:2008年6月2日 22時32分
クイズテレビずき
クイズテレビずきは、1993年1月9日〜9月25日までTBSテレビ系列(ただしテレビ山口を除く)で土曜日の19:30〜20:00に放送されたロート製薬1社提供のクイズ番組である。 16年続いた「クイズダービー」の後番組で、TBS系列としては、最後のロート製薬一社提供のクイズ番組であった。
目次 [非表示]
1 概要
2 司会
3 他の出演者
4 ルール
5 備考
6 前後番組の変遷
[編集] 概要
2時間特番で何度か放送された「芸能界クイズ大作戦」が好評だったのでレギュラー化された。 ただ、視聴率は10%台を取っていたが、裏番組が当時高視聴率のフジテレビ系列の「たけし・逸見の平成教育委員会」だったため、わずか9ヶ月で終了に追い込まれた。この番組が終了した同月には、裏番組の日本テレビ系列の「ぐるっと日本グルメ旅」も終了し、奇しくも「クイズテレビずき」と「ぐるっと日本グルメ旅」が同月に共倒れしてしまった。そしてTBS系列土曜19時半枠は「チャレンジ大魔王」に引き継がれた。内容はテレビ番組に関する問題が中心である。
[編集] 司会
笑福亭鶴瓶
渡辺真理(当時TBSアナウンサー、クイズダービーでは出題者だった)
[編集] 他の出演者
○印はクイズダービーでレギュラーだった解答者
夏木マリ
竹下景子○
平松愛理
古今亭志ん輔
植草克秀○
井森美幸○
佐藤政道
国生さゆり
西郷輝彦
細川ふみえ
竹内力
小林幸子(特番でもやった幸っちゃんクイズを担当。 毎回クレーンに乗って歌いながら登場する)
ほか
[編集] ルール
[編集] 備考
この番組の放送期間中に、ロート製薬のオープニングキャッチがリニューアルした(詳細は、ロート製薬#オープニングキャッチで説明している)。同様に、関西テレビ制作フジテレビ系の「三枝の愛ラブ!爆笑クリニック」の前半提供も対象だった。
スタジオにもロート製薬の商品名「パンシロン」「新Vロートプラス」「ロートZi:」の看板が掲げられていた。実質的には、この番組が最後のスタジオでのロートの看板表示となった。
プロデューサーは居作昌果だった。起用したのも、視聴率向上のためでもあったが、残念ながら効果を果たせなかった。
[編集] 前後番組の変遷
TBS系列 土曜19:30枠
前番組 番組名 次番組
クイズダービー
(1976.1.3〜1992.12.19) クイズテレビずき
(1993.1.9〜9.25) チャレンジ大魔王
(1993.10.9〜1994.3.19)
TBS系列 ロート製薬一社提供枠
クイズダービー
(1976.1.3〜1992.12.19) クイズテレビずき
(1993.1.9〜9.25) 消滅
[隠す]表・話・編・歴ロート製薬
主な製品 ロート製薬の製品(メンソレータム1・ROHTO Zi:など)
現在放送中の
一社提供番組 SMAP×SMAP2・上原多香子のクロース トゥ ユー
過去の主な
一社提供番組 漫才教室・私はナンバーワン・アップダウンクイズ・底ぬけ脱線ゲーム・こりゃまた結構・お笑い頭の体操・万国びっくりショー・ほんものは誰だ?!・クイズダービー・三枝の愛ラブ!爆笑クリニック2・おもしろ博士クイズ・おもしろクイズBOX・大きなお世話だ・クイズ!!ひらめきパスワード3・ごきげん月曜7時半・クイズテレビずき
関連人物 山田安民・山田輝郎・井上豊太郎・今竹七郎・市村俊幸・八木治郎・小池清・大橋巨泉
関連項目 森下仁丹・テルモ・エムジーファーマ・近江兄弟社・山田スイミングクラブ・毎日放送・東京放送・フジテレビジョン・関西テレビ放送・ガンバ大阪・全東北民謡選手権大会・オープニングキャッチ・生野区
11975年に近江兄弟社からライセンス移譲
2前半のみ、後半は複数社提供31991年10月からは、ロート製薬を含む複数社提供
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カテゴリ: TBSのクイズ番組 | ロート製薬
作者:myka226
更新日:2008年6月2日 22時32分
クイズダービー
『クイズダービー』(英称:QUIZ Derby)は1976年1月3日から1992年12月19日までTBSテレビで放映されたロート製薬の一社提供で、トークショーを交えたタレント及び視聴者参加によるクイズ&ゲーム番組である。全862回。
地上波での放送は終了したが、CS放送「TBSチャンネル」で再放送されている(毎週月曜22時30分から23時、翌週月曜5時30分から6時)。
目次 [非表示]
1 概要
1.1 全盛期
1.2 大橋巨泉→徳光和夫に司会交代(番組の終焉)
1.3 番組終了後
2 ルールの変遷
3 セットの変遷
4 歴代司会者・出題者
5 レギュラー解答者(職業)<レギュラーを務めた期間>
5.1 「1枠」作家・大学教授枠
5.2 「2枠」女優・タレント枠
5.3 「3枠」漫画家枠
5.4 「4枠」女子大生枠
5.5 「5枠」
6 レギュラー解答者のエピソード
6.1 篠沢秀夫のエピソード
6.2 はらたいらのエピソード
6.3 竹下景子のエピソード
6.4 その他の解答者のエピソード
7 歴代ゲスト解答者
7.1 あ行
7.2 か行
7.3 さ行
7.4 た行
7.5 な行
7.6 は行
7.7 ま行
7.8 やらわ行
8 節目の回の結果
8.1 大橋巨泉司会終了回
8.2 徳光和夫司会初回
8.3 最終回
9 オープニング(OP)とエンディング(ED)の変遷・提供読み
10 スタッフ
11 全国ネット
12 クイズダービーゲーム
13 備考
14 エピソード
15 「クイズダービー」のクイズ形式を行っていた番組
16 補足
17 脚注
18 関連項目
19 関連書籍
20 外部リンク
21 前後番組の変遷
[編集] 概要
地上波では毎週土曜日の19時30分から20時に放送していた(通常は30分の放送だったが、過去に数回1時間のスペシャルが放送されていた)。番組は「巨泉のクイズダービー!!」(初期は「大橋巨泉の〜」だった)のかけ声の後、競馬のゲートが開く音と共にオープニングテーマが流れてスタートする。(同時に番組セットのすべての電飾も点灯した。)
この枠では元々大橋巨泉の司会で、同じくロート製薬一社提供番組だった『お笑い頭の体操』(1968年〜1975年)が放送されていたがリニューアルされることになり、このとき巨泉の競馬好きから、かつてカナダで見たクイズ解答者を馬に見立て賭けを行い高得点を競う競馬形式のクイズ番組「セレブリティ・ステークス」を模倣した番組が企画された(詳細はルールを参照)。もっとも、カナダの「本家」は、巨泉の話によれば非常に短命で、1年も続かなかったという。ただし、カナダの番組では解答者に予め答えを教える場合もあるやらせ行為があるのに対して、この「クイズダービー」ではやらせ無しの真剣勝負だったのが相違点である。
TBSで春・秋に放送されていたスペシャル番組『クイズまるごと大集合』(1987年〜1991年)では、関口宏やビートたけしが司会をしていた(なお、関口やたけしも本放送時にはゲスト解答者として登場していた。)。大橋巨泉は同時期に同局系で『世界まるごとHOWマッチ』(MBS制作。1983年〜1990年)の司会も担当していた。この番組でも巨泉の趣味が反映されて、ゴルフのルールが取り入れられていた。
同番組はクイズ番組としては珍しく、TBSテレビの音声多重放送開始当初である1978年11月25日放送分よりステレオ放送となった。同番組のステレオ放送はTBSテレビ初で、かつテレビクイズ番組初でもあった。なお、HBCテレビの札幌地区(石狩・空知・後志管内の大半、及び胆振管内の一部)以外の地域は番組終了までずっとモノラルでの放送だった。しかし、現在再放送されているCS放送のTBSチャンネルではステレオで放送(チャンネル自体、2か国語放送を行わない限り、モノラルであっても常時ステレオ音声)されているため、HBCテレビの札幌地区以外の地域でも地上波では一度も聴くことがなかったステレオ放送を楽しむことができる。また、1990年以降はクリアビジョン放送化もされていた。
[編集] 全盛期
夜6時のTBS『料理天国』、30分前のMBSの『まんが日本昔ばなし』、TBS『8時だョ!全員集合』、さらにはTBS『Gメン'75』などと合わせ、1970年代から1980年代の土曜夜はTBSが視聴率で他局を圧倒していた。当時TBSではこれらの番組の放送を優先させたため、土曜の夜にプロ野球ナイター中継番組をほとんど組まなかった(プロ野球中継のため番組が休止されたのは1977年、1978年、1979年、1986年のたった4回だった)。ただ、この高視聴率番組もスタート当初は4%台と低迷し、当時流行していた日本テレビの裏番組などに負けながら苦戦をしていた。収録は、現在のTBS社屋の近くにあったTBSホール(TBS本館=後の赤坂メディアビル、既に解体。)で行われていた。
大橋巨泉の「セミリタイア宣言」に伴い、1990年4月からは元日本テレビアナウンサーの徳光和夫に司会が代わり、1992年12月の番組終了まで担当、司会交代後の大橋巨泉は「スーパーバイザー」として参加した。音楽担当はたかしまあきひこ。
1990年3月31日(第734回)の巨泉司会バージョンの最終回では、当時のレギュラー解答者だった1枠北野大・2枠井森美幸・3枠はらたいら・4枠竹下景子と、5枠には篠沢秀夫がゲスト解答者として登場した。出場者はガッツ石松・萩尾みどり(赤チーム)、斉藤慶子・山崎浩子(黄チーム)、黒鉄ヒロシ・長山藍子(緑チーム)が登場していた。
[編集] 大橋巨泉→徳光和夫に司会交代(番組の終焉)
1990年4月14日(第735回)からは徳光和夫が2代目の司会者となり、オープニングの掛け声も「徳さんのクイズダービー!!」と変更された。しかし徳光の司会進行ぶりは、三択問題では一斉に解答を開かなかったり、「1人を除いてみんなおんなじ答え」の状況でも1人ずつ解答を開けていく等、やはり巨泉と比べると手際の悪さばかりが目立っていた。徳光に交代後の末期は倍率も毎週ほぼ固定制になり、1倍という倍率もつけられなくなっていった。加えて、ギャンブラー側もこの番組が長寿番組となり学習しているのか、はらと竹下ばかりに掛ける事が多くなってゆき、番組を楽しむというより10万点を狙いに行くだけのギャンブラーが増えてきたのも、この番組をつまらなくした要因となっている。
その後、視聴率が低迷し始め、裏番組ではテレビ朝日の人気テレビアニメ番組『おぼっちゃまくん』(関西地区(ABCテレビ)は『部長刑事』シリーズ)に負けることが多くなり、さらに1991年10月にフジテレビで放送開始となった、『たけし・逸見の平成教育委員会』に苦戦する一方となる。1992年7月からは週替わりレギュラー制を導入したが、これも裏目に出て視聴率をさらに下げてしまい、ついに同年の暮れで『クイズダービー』の打ち切りが決定となった。余談だが末期の途中で次回の解答者紹介を交えつつ、その中で指定された解答者は、次回の放送で8問中何問正解するかを視聴者に予想してもらうクイズが新設され、見事に的中すれば抽選で5人に任天堂の「スーパーファミコン」ほか豪華賞品がプレゼントされた。
1992年12月19日の最終回(第862回)では、巨泉が1990年3月に「セミリタイヤ宣言」で降板して以来の司会に復帰し、2代目司会者の徳光和夫は5枠のゲスト解答者として登場した。他にレギュラー解答者は北野・井森・はら・竹下に、出場者は黒鉄ヒロシ・五月みどり・ガッツ石松(赤チーム)、うつみ宮土理・小沢昭一・長山藍子(黄チーム)、山崎浩子・松崎しげる・植草克秀(緑チーム)が登場。最終回に徳光が告げたオープニングの掛け声は「巨泉のクイズダービー!!」だった(その時徳光の顔には、巨泉の顔に似せたメガネをかけての登場となった)。
[編集] 番組終了後
番組終了後も人気は根強く、これまでに2回復活特番が行われ、その後CS放送による再放送も行われている。2000年12月30日にはJNN系列「21世紀プロジェクト年越し38時間生放送『SAMBA・TV』」の番組内「20世紀の人気番組大集合!」で巨泉の司会でのリバイバル放送が組まれた。解答者は1枠篠沢・3枠はら・4枠竹下と昔からお馴染みのレギュラーメンバーに、2枠にはクイズダービーとしては初登場の久本雅美、5枠では本放送時や『クイズまるごと大集合』にゲストとしても出演していた石坂浩二を迎えた。他出場者は、当時の『ブロードキャスター』から福留功男(徳光司会時代の1992年の本放送時にゲスト解答者として登場)・三雲孝江(過去にも本放送で出場者として登場)の赤チーム、『渡る世間は鬼ばかり』から長山藍子(過去2枠レギュラー解答者)・えなりかずきの黄チーム、『さんまのSUPERからくりTV』から中村玉緒・セイン・カミュの緑チームがそれぞれ特別出場した。また出題アシスタントは小池達子が務めている。なお、単独提供ではなかったものの、ロート製薬もスポンサーとして名を連ねた。また、放送はTBSホールではなく、TBS放送センターのスタジオから行われた。
2004年5月14日にはロンドンブーツ1号2号とロバートのスペシャル番組・『もう時効だョ全員集合史上最強!花の芸能界オフレコトークバトル』で、4年前の「20世紀の人気番組大集合!」と同様に、復元スペシャルが放送された。司会巨泉・出題アシスタント小池・解答者篠沢・はら・竹下の4年前と同じメンバーに、2枠には井森美幸が久々に登場し、5枠にはロンドンブーツ1号2号の田村淳を加えての構成となった。なお、従来の『クイズダービー』では全部で8出題だったが、この時は一般2問、三択2問、歌詞1問の、合計5問のみ出題という短縮バージョンでの放映となっている。
2000年の復活版から、倍率や得点表示がデジタル式に変更。また、答えの記入もマジックで記入する方式からライトペンで記入する方式に変わった。スタジオセットも1980年代の放送(2代目)のものを採用して再現。また、収録はTBSホールではなく、TBS放送センターのスタジオで行われた。
2005年1月よりCS放送・TBSチャンネルでの再放送が始まったことで、秋田県など地上波では放送されなかった地域でも楽しめるようになった。もちろんTBS系列局でありながらスペシャル版だけしか放送されなかったテレビ山口の放送エリアである山口県でも視聴できる。TBSチャンネルでの最初の放送は2005年1月3日で、この日は地上波での放送開始からちょうど30年目にあたる節目の日でもあった。放送開始時刻も本放送と同じ19時30分から放送された(この日は4本分連続で放送)。なお、現在は毎週月曜日に放送されているが、放送曜日となっている月曜日は、本放送の公開録画が行われていた曜日でもある。また、ロート製薬の初代オープニングキャッチも併せて放送されている。同年1月はランダムで放送されたが、2月以降は第589回(1987年5月9日放送分)から順番に放送している(第739回など、稀に事情により放送されなかった回もあり)。但し、1988年10月から1989年1月放送分は当時、昭和天皇の病状悪化に伴い、ロート製薬の初代オープニングキャッチの放送を自粛(このときはブルーバック画面に番組のテーマ曲を乗せての提供読みだった)していたためCS放送ではTBSチャンネル共通のオープニングの後、すぐに「巨泉のクイズダービー!!」の掛け声で始まる(放送素材でも該当する回にはオープニングキャッチは収録されていない。)。2008年2月11日に巨泉降板の回を放送した。
[編集] ルールの変遷
番組の基本的なシステムやルールの考案者は、初代司会者だった大橋巨泉である。
毎回3チーム(番組開始当初は個人、後に2人一組。特別番組では4チームの時もあり)の出場者(一般視聴者、時にはタレント・著名人・スポーツ選手。実際の競馬で言う「賭け手」に見立てたもの)と、5人(初期は6人)の解答者(実際の競馬で言う「騎手」に見立てたもの)が登場した。視聴者(出場者)チームはその問題に対して誰が正解するかを一人予想し、持ち点(実際の競馬で言う「馬券」に見立てたもの。3000点からスタート。「クイズまるごと大集合」ではこれまでのクイズで獲得した点数に3000点をプラスしてのスタート)の範囲内から100点単位で賭ける。解答者には問題に応じた倍率が設定されており(実際の競馬で言う「オッズ」に見立てたもの。最後の問題のみ設定された倍率が2倍になる、但し初期は単純に1〜20倍の間で倍率が決められ、最終問題の倍率が2桁の奇数になる場合もあった)、視聴者が指名した解答者が正解した場合は賭け点と解答者の倍率をかけた得点が与えられ、不正解だと賭け点分のみマイナスとなった。ただし、解答者が全員不正解の場合にはその問題での賭け点はすべて返された。
通常は8問出題され、1・3・5・8問目が一般問題、2・4・7問目が三択問題、6問目は音楽問題というのが基本だった(まれに最初の1問目で音楽問題が出題されたこともある)。出題後の解答者側の倍率を表す時には必ず決め台詞として「倍率ドン!!」と言っていたが、最終問題では「倍率ドン!さらに倍!!」(巨泉)、「倍率ドン!さらに倍してドン!!」(徳光)という決まり文句があった。稀に「倍率ドカン!」や「倍率、せーのドン」というかけ声もみられた。なお、問題を解くカギとして、問題中にヒントが隠されており、そこから答えを連想することだった。音楽問題は歌詞通りに書かなければならないが、一般問題と同様に問題のフレーズの周りの歌詞にヒントがあり、そこから予想していた。知識より勘を問う問題が多かった。
答えを開ける際は1問目は解答者紹介を兼ねて1枠から順に解答を開けていった。その際レギュラー解答者は司会者より先週の成績が「○勝×敗」という表現で発表され、過去に出場経験があるゲスト解答者は通算成績が発表された。但し末期の週替わりレギュラー制となってからはテロップで前回の成績が表示された。3・5・6・8問目は司会者の裁量で、大抵は誰からも指名が無くかつ間違っているだろうと思われる答えから順に開けていった。(1・2・5枠のいずれかから開けることが殆どであった。)同一解答が複数いる場合一括して開けていた。また最後の1名まで正解が出なかった場合、司会者は「○○さんが出来なければ(賭け金は)お返しします」という決め台詞もあった。
なお三択問題では、答えが3つしか存在しないため、基本的に一斉に答えを開いていた。答えを開ける際で、答えの分布が○:△:□=2:2:1の場合「3つに分かれました。○は2人、△は2人、□は1人」、○:△:□=3:1:1の場合は「○という答えが圧倒的に人気で3人、△は1人、□は1人」、○:△:□=3:2:0の場合「□と書いた人はいない、○が3人、△は2人」、4:1の場合「一人を除いてみんなおんなじ答え!」といった決め台詞が存在し、その後一斉に全員の解答を開くという形式だった。また「なんと全員同じ答えです!」と言ったり、いきなり「いっぺんに開けましょう」との号令で、5人全員正解と言ったこともある(逆に全員不正解の場合もあり)。一般問題でも「一人を除いて皆同じ答え」で一斉に答えを開けたことが時折あり、その後大抵は「○○さん以外は全部正解」となるパターンだったが、たまに「○○さん一人だけ正解」「全員不正解」となったケースもあった。なお一人だけ正解の場合は、予め司会者がとある解答者に対して「○○さん、(『一人を除いて』のひとりは)あなたでは有りません!」と安心させていたが、皮肉にもそう言われた解答者は不正解であった。
司会者が「せーのドン!」と言って解答者のモニターテレビを開けて答えを出し、正解の際は画面の色が赤になり、不正解の際は青になる。正解した解答者は倍率表周りのランプが点灯回転、的中した出場者の得点表周りのランプが点灯回転して、司会者が正解の大絶叫と共に出場者が指名した解答者が正解した際はチャイムの代わりにファンファーレが鳴る(当初は馬の鳴き声「ヒヒーン」だった。但し、不正解の場合は何も鳴らない(ブザーはなし))。そして、持ち点が1チームでも10万点に達した場合、同じロート製薬提供で、MBS『アップダウンクイズ』のように司会者が正解を大絶叫、出場者の後方のランプと得点表周りのランプが同時に点灯回転して、番組のエンディングで流れるテーマ曲の一部分がファンファーレとして鳴るとともに、出場者席上に吊るされたくす玉が割られて、紙吹雪(色は赤・黄・青・白)と極細の紙テープ2束(色は赤・黄・白)が降り(風船は入っていない)、賞金10万円獲得となり、アシスタントから男性は白、女性は赤のダービーハットがかぶせられた(『アップダウンクイズ』の10問正解・ハワイ旅行獲得者にハワイのレイをかける演出と同じものだった)。くす玉割りは『アップダウンクイズ』と同様、スタッフの機械操作で行われていた。なお、どのチームも指名しなかった解答者が正解した場合はファンファーレが鳴らされず、拍手のみだった。
解答中(シンキングタイム)に流れていた曲は、フォスターの『草競馬』をアレンジした曲が使用されていた(番組初期はエレクトーン系だったが、後のステレオ放送化を機にフルートの音色に近いものに変わり、最終回まで継承された)。
「全員不正解」という事態は、番組当初においては想定されていなかったため、初めてこの状態が出現した際には、通常通り「不正解者に賭けた」こととして減点されたが、翌週より「そもそも誰が正解しているかを当てるゲームであり、全員不正解というのは根本的にゲームが成立していない状態である」という見解(実際の競馬で云うところの「競走不成立」となった状態と同じ)に統一され、「全員不正解の場合、賭け点はすべて返す」というルールが追加された。なお、「全員不正解」というケースは数ヶ月に1回のペースで出現していたが、時には同じ回で8問中2問が全員不正解(とある回ではその2問が両方とも三択問題)だったこともあった。稀にだが、8問中3問も全員不正解という珍記録も発生している。逆に、解答者が全員正解したケースも年に数回あった。
8問出題後、最終的に獲得した点数がそのまま1点=1円で賞金となった。最終問題に関係なく持ち点が10万点に達した場合、または0点になって失格となった場合、そのチームのみその時点でゲーム終了となり、次の問題以降は参加しない。
なお、10万円を超過した分は「TBSカンガルー募金」に寄贈された。これは製薬会社団体の紳士協定により、懸賞賞金が10万円までと定められていたため。
大抵の回は10万点に達するチームが出たが、全チーム0点または逆に全チーム10万点となったケースも年に数回あった。中には計算違いをしたり、点数不足だったにもかかわらず、確実に賞金を持ち帰るため、正解率の高い解答者(主にはらたいらや竹下景子)に賭けて惜しくも10万点に届かなかったチームもあれば、解答者が不正解でも確実に賞金を持ち帰るため、最終問題で全額を賭けずに少し点数を残したチームもあった。そのほか、獲得賞金が数百円だったチームもあった。また過去の放送の中には、7問目までに10万点に達したチームもいれば、(番組初期の頃)7問目までに0点となり失格となってしまったチームもいた。
初期の番組では、各チームが手元のボタン操作で解答者と賭ける点数を入力しており、司会者が話を振らない限り、各チームが言葉を発することはなかったが、後に賭ける点数の入力をスタッフに一任してからは、各チームが「いつも○○な○○さん」などの褒め言葉や「○○さん、お願いします!」など嘆願の言葉を付け加えながら、「〜に○○点」や「〜に全部」と発するようになった。
初代司会者である巨泉による、各解答者の答を表示する時の「せーの、ドン!」を筆頭に、出場者が発した「はらたいらさんに3000点」や「いつ見ても素敵な竹下さんに1000点」、「篠沢教授に全部」などの決まり文句が有る。他にも司会者が発する「賭け方が下手!」(正解者が多かった問題で全チームの予想が外れた場合など)、「賭け方が上手かった〜!」(特に倍率の高い解答者に指名して的中させた場合など)、「ここにくれば○倍だった」、「余計な事をしないように!」(どのチームも賭けてない解答者が正解した場合)、「最後の問題です、よーく聞いてくださいね」、「(エンディングで)○○さんに賭ければ10万点だったのに」などの言葉は伝説となっている。
番組の初期は、解答者の倍率を司会の巨泉と、レギュラーオッズマンの藤村俊二と、ゲストオッズマンの3人で決めていた。これは、解答者の正解不正解を、競馬の予想マーク(◎○△×)で予想するもので、3人全員がマークを付けない状態では「10倍」であり、マークの種類と個数に応じて倍率が下がっていった。ただし、どのマークでどれだけ下がるかの規則性は、番組内では明らかにされなかった。なお、競馬の予想マークは倍率の下に表示していた。その後、解答者が6人から5人に整理された際に、巨泉が単独で倍率を決める方法に改められたが、「最高倍率は10倍(最終問題は20倍)」というルールはそのまま継続された(このリニューアルについて巨泉は「複雑すぎて視聴者に受け入れられず、視聴率が取れなかった。それなら思いっきり単純にしようと思って、オッズマン制をやめた」と後に語っている)。
オッズは、概ね1枠・2枠・5枠には5〜10倍、3枠4枠には2・3・4倍(いずれも最終問題は更に2倍)が表示されていたが、ごくまれに「1倍」がついたこともある。「1倍」の設定は正解率の高いはらたいらが多かったが、その他の解答者でも専門・得意分野にちなんだ問題では「1倍」が設定されたことがあった。
また、番組初期〜中期にかけて「この問題はわからないだろう」という意味でごくまれに、はらに5倍、竹下にも5〜10倍という高倍率が設定されたことがある(ごく稀に最終問題で10倍が出たことがある)。井森美幸の詳しい倍率設定の項目も井森美幸の方へ移動
なお、この番組での的中時の配当は日本における公営競技(中央競馬・地方競馬・競輪・競艇・オートレース)のパリミュチュエル方式ではなく、いわゆる「n to 1」というブックメーカー方式で行われており、賭け金を賭けた時点では持ち点が減らないルールになっており、ギャンブルを知らない視聴者にもわかりやすくなった。
例えば3,000点を持っているチームが、3倍の解答者に500点を賭けて正解した場合の持ち点は「500×3=1,500+3,000=4,500」点となる。不正解の場合は「3000-500=2500」点(倍率は関係ない)となる。「1倍」という倍率が存在したのはこのためである。
出題は一般常識や時事関連、珍問・奇問、ギャグ満載の問題が中心であったが、中には出場者のタレントに関するエピソード問題や普通の辞書にも出ないユニークな漢字の出題もあった。出題する際、出場者でも答えを知っている問題については、解答に入る前に司会者から出場者に対して「〇〇さん(みなさん)は黙っていて下さいね!」と注意していた。
[編集] セットの変遷
客席から見てスタジオの中央部に解答者席(上に番組タイトルの電飾看板がかけられていた)、右側に司会者席(左にアシスタント、右に司会者)がある。司会者席の上には解答者全員の成績が『本日のレース結果』として表示された。なお、表示は10問目まで対応しており、正解のときは当該箇所の赤いランプ(●印)が点灯した。また、9問目以降は特番を除き使用しなかった。名前は1989年10月21日(第712回)放送分から文字形式が変更。
番組の初期では左からゲストオッズマン、レギュラーオッズマンの藤村俊二、司会者の大橋巨泉が座っていて3つに席が分かれていた。また、解答成績は司会者席と6枠解答者席の間にボード形式で立てていた。
4代目の番組セット以降は電飾にフラッシュ)もたかれるようになった(4代目は正面。5代目以降は番組セット全体に取り付けられた)。
左側に出場者席があり、その上にはロート製薬の主力商品(パンシロン、パンシロンG、Vロート、キャシロン、メンソレータム、新パンシロン、新Vロート、ロートZi:など)の看板が掲げられていた。この商品看板はTBSチャンネルでの再放送でもそのまま放送しており、番組冒頭にはその旨の断りのテロップが表示される。なお、解答者席の両側にはコンパニオンの出入口が配されていたが、これが使われたのは10万点獲得時と図表や物品を解答者に見せる時(問題の頭に「ちょっとこちらをご覧ください」の一文が入った)である(コンパニオンはエンドクレジットに名前が出るが、どちらのケースもない場合は姿を見せない)。また、番組のセットは7代目まで続いた。
解答者席は実際の競馬で言うスタート地点(いわゆる「ゲート」)に見立てたものであり、解答者の後方に解答モニターが設けてあり、正解の場合はそれが赤バック、不正解の時は青バックとなった。
番組開始当初は解答モニターは棚に飾る状態でのせていたが、のちに2代目の番組セットで解答席が6席から5席に変更された際、番組セットの壁でモニター画面の部分以外はすべてふさいだ。解答モニターはほかに司会者席にも横に1列並んで設置されており、解答者席のものと同様に画面が青・赤バック表示のものと、視聴者に回答の模様を公開するために「ただいま解答中!」としてモノクロ画面のモニターが上3列・下2列に並んで設置されていた。
また解答者席の正面には倍率(オッズ)が電光表示され、正解すると電飾が点滅した。出場者席のテーブルにはパネル形式で上にその問題の掛け金、下に現在の獲得金額がそれぞれ表示される。得点表示はソラリー式(反転フラップ式、縦横方向は違うものの、『アップダウンクイズ』の賞金表示板と同じ仕組み)で、賭けた回答者が不正解のときは動作音が響いていた。(復刻版では得点表示も電光表示に変わった)
出場者は番組開始当初、手元にある出演者のネームプレートを差し込んで賭け点入力もしていたが、入力がスタッフに一任されてからは、その出演者に対する褒め言葉を言いつつ賭け点を賭けた。賭けられた解答者の席には賭けたチームが書かれたポールが自動的に立った。ネームプレートも1989年10月21日(第712回)放送分から成績ボードと同様に文字形式が変更になった。
『クイズまるごと大集合』や『お正月特番』などの特別番組では、賭けたチームが書かれたポールが自動的に立つのは3チーム分(赤・黄色・緑)しか対応していないため、特番のために増設したもう1チーム分(青枠)は出場チームが書かれたネームプレートを賭けられた解答者自らが答えを記入する前にポールを差し込んでいた。獲得すると出場者席の後方とテーブルの電飾が点滅した。得点が10万点以上になった場合は、通常時の10万点達成と同じシーンが見られた。しかし、実際は10万点に達していないにもかかわらず誤って割ってしまったこともあり、司会者が詫びたこともあった。
1976年1月3日(第1回)の番組開始から1987年9月19日(第607回)放送分まで使われていた後方の電飾は欧米の多くの競馬場(近年は日本でも)に採用されている競走馬の蹄をイメージしたゴール板を模したものである。出場者席の配色は左から赤・黄色・緑(「クイズまるごと大集合」や「お正月特番」の場合はもう1つ青枠が登場)であった(番組開始当初は色分けされておらず(後方の電飾はすべて黄色)、くす玉もなかった)。
番組セットの変貌
1代目(1976年1月3日(第1回)〜1976年7月3日(第27回))
2代目(1976年7月10日(第28回)〜1980年3月29日(第218回))
3代目(1980年4月5日(第219回)〜1987年9月19日(第607回))
4代目(1987年9月26日(第608回)〜1990年3月31日(第734回))
5代目(1990年4月14日(第735回)〜1991年3月30日(第781回))
6代目(1991年4月13日(第782回)〜1992年9月26日(第853回))
7代目(1992年10月17日(第854回)〜1992年12月19日(第862回))
[編集] 歴代司会者・出題者
1976年1月3日(第1回)〜1980年3月29日(第218回) - 大橋巨泉・丹羽節子
1980年4月5日(第219回)〜1984年3月31日(第425回) - 大橋巨泉・保田裕子
1984年4月7日(第426回)〜1985年3月30日(第477回) - 大橋巨泉・きゃんひとみ
1985年4月6日(第478回)〜1990年3月31日(第734回) - 大橋巨泉・小池達子
1990年4月14日(第735回)〜1991年3月30日(第781回) - 徳光和夫・小池達子
1991年4月13日(第782回)〜1992年12月12日(第861回) - 徳光和夫・渡辺真理
1992年12月19日(第862回) - 大橋巨泉・渡辺真理
過去2回の復活特番ではいずれも小池達子が出演している。渡辺真理は司会が徳光和夫に交代した後に就任したため、渡辺と大橋巨泉との組み合わせは最終回(1992年12月19日)の一度だけであった。
「アップダウンクイズ」のように、出題者は問題読みのみだけであり、賞品等の紹介(ABC「パネルクイズ アタック25」のように)は一切なかった。
[編集] レギュラー解答者(職業)<レギュラーを務めた期間>
[編集] 「1枠」作家・大学教授枠
一発逆転枠。2枠よりは正解率は高め。主に文化人が入る枠であるが、意外と知らないことがあるということを見せてくれた。
畑正憲(作家)<1976年1月。第1回放送時のみ?>
鈴木武樹(明治大学教授)<1976年1月 - 1977年4月?>
プリングス・ハイム(音楽家)<1977年4月? - 1977年5月。鈴木教授が選挙に出馬するため降板した繋ぎとして短期レギュラー>
和久峻三(弁護士・推理作家)<1977年5月 - 1977年8月>
篠沢秀夫(学習院大学教授)<1977年9月 - 1988年7月>
北野大(淑徳大学教授・ビートたけしの実兄)<1988年8月 - 1991年7月。レギュラー前にもゲスト解答者として過去1回登場>
植草克秀(タレント・少年隊)<1991年7月 - 1992年6月>(1992年7月〜12月は準レギュラー)
[編集] 「2枠」女優・タレント枠
大穴枠。長山まではベテラン女優・タレント枠であったが、4枠の竹下景子が長く出演したので、宮崎の時代から若手女性タレント枠に転向。宮崎曰く「オトボケの2枠」通り、連敗記録が多く出た枠でもあった。
五月みどり(女優・歌手・タレント)<1976年1月 - 1977年1月>
沢たまき(女優・政治家)<1977年1月 - 1977年9月>
うつみ宮土理(女優・タレント)<1977年10月 - 1978年8月>
高峰三枝子(女優・歌手)<1978年9月。うつみ宮土理が病気のため降板した繋ぎとして短期レギュラー>
南田洋子(女優)<1978年10月 - 1979年9月>
長山藍子(女優)<1979年10月 - 1981年9月>
宮崎美子(女優・タレント)<1981年10月 - 1983年9月>
斉藤慶子(女優・タレント)<1983年10月 - 1985年3月>
山崎浩子(タレント・元新体操五輪代表選手)<1985年4月 - 1988年2月>
井森美幸(タレント)<1988年2月 - 1992年6月>(1992年7月〜12月は準レギュラー。レギュラー前にもゲスト解答者として過去3回登場)
早坂好恵(タレント)<1992年7月-1992年12月>(準レギュラー)
[編集] 「3枠」漫画家枠
本命枠。はらを中心にパーフェクトな正解を見せてくれた。
黒鉄ヒロシ<1976年1月 - 1977年1月>
はらたいら<1977年1月 - 1992年6月>(1992年7月〜12月は準レギュラー)
福地泡介<1981年4月>
秋山豊寛(元TBSキャスター・日本人で初の宇宙飛行関係者)<1992年7月 - 1992年12月>(準レギュラー)
加賀まりこ(女優)<1992年7月 - 1992年12月>(準レギュラー)
(福地ははらのスケジュールが合わず代役として。秋山・加賀は番組終了まで約半年間の週代わりレギュラー。この間も、はらは最終回も含め不定期で出ていたが、竹下よりも早く番組出演を終えている)
[編集] 「4枠」女子大生枠
対抗枠。ほぼ「竹下景子のための枠」と言っても良いほどである。
萩尾みどり(女優・当時千葉大生)<1976年1月 - 1976年7月?>
岸じゅんこ(タレント・当時國學院大生)<1976年7月? - 1976年9月。日テレ『ウィークエンダー』のレポーターとして活躍していた>
竹下景子(女優・当時東京女子大生)<1976年10月 - 1992年12月>(なお、1992年7月〜12月の間は不定期で出演)
市毛良枝(女優)<1986年3月>
宮崎美子(女優・タレント)<1986年4月>
原日出子(女優)<1988年10月>
(市毛・宮崎・原は竹下の産休代役として、それぞれ2週間ずつ務めている)
[編集] 「5枠」
ガッツ石松(タレント・元プロボクサー世界王者)<1976年1月 - 1976年7月>
(ガッツ石松が降板後の5枠は、番組終了までゲスト解答者の席となる)
[編集] レギュラー解答者のエピソード
各解答者の個性も番組の魅力であった。ここでは篠沢、はら、竹下の3名を中心に取り上げており、2枠の女性レギュラー陣に関しては上記「2枠」女優・タレント枠のそれぞれの個人名を参照の事。
[編集] 篠沢秀夫のエピソード
篠沢秀夫は、毎回番組のオープニングで司会の大橋巨泉から前週の成績が発表される際に、成績が悪い(2勝以下)時は「上品で良いですね〜」とニッコリ微笑み、成績が良い(3・4勝以上)ほど「下品でダメですな〜」等と嘆いていた。不正解の解答には、教授ならではの珍解答や迷解答が多く、特に笑い話やジョーク等の出題で意味不明の事を書いたりもしたため、巨泉に呆れられたり、竹下景子や左隣に座る2枠の女性レギュラー等によく失笑されていた。それでも篠沢本人曰く「クイズになんか当たらない方が美学である」「連敗記録も連勝記録同様に難しいんですよ」と、不正解が続けば続く程に堂々と胸を張っていた。
しかし、篠沢教授の正答率は3割2分7厘(平均2勝6敗〜3勝5敗ペース)と、意外に歴代の2枠女性レギュラー陣(五月みどり、沢たまき、うつみ宮土理、宮崎美子以外)よりも「下品」な成績を残している。又6問目の音楽の歌詞(作詞)を当てる問題では、時々正解することもあったので、巨泉からは「作詞の盟主(めいしゅ)」と呼ばれたりもしていた。滅多に無いが難問で篠沢ひとりだけ正解したり、篠沢が解答者5名の内最上位という出来事も発生している。また、篠沢の最高成績は6勝2敗で、番組初期の9問出題の頃には7勝2敗という成績も有り、最高で9連勝という記録も達成した。
少女マンガの問題で、見事大正解を成し遂げたこともあり、大きな話題となった。「アップダウンクイズ」のシルエットゲストで出演の際、新聞のテレビ欄に「僕は少女マンガが好きだ」のサブタイトルが入っていた。
特に、篠沢教授自身が正解を知っている問題が出題された時は、正解した後に「実に不愉快ですなあ〜」と苦笑いを浮かべることが時々あった。さらに篠沢は三択問題等で正解すると、別に巨泉から聞かれてもいないのに、篠沢自ら自慢げに解答の理由を説明する事もよく有った。その度に巨泉は「問題が出来ると色々と言うんですよ、教授という人は!」と呆れながら語っている。その後、1枠レギュラー後任となる北野大も同様の傾向があったので、巨泉は北野に対しても「教授とか先生と言われる職業の人は、どうしてこんなに自慢したがるんですかねぇ?」と首を捻っていた。
篠沢教授の1枠レギュラー期間は約10年10か月で、4枠レギュラーの竹下景子、3枠レギュラーのはらたいらに次ぐ、『クイズダービー』において歴代3位となる長期間のレギュラー出演だった。1988年7月30日の放送回をもって、『クイズダービー』の1枠の席に座るのが最後となったものの、降板後もしばしば5枠ゲスト解答者として登場している。1992年12月19日の『クイズダービー』最終回にも、当初は篠沢も出演する予定だったが、大腸ガンで入院していた為に断念、代わりに北野大が登場した。
『クイズダービー』終了後の篠沢は、2000年末の「SAMBA-TV」復刻版と、2004年5月の復元スペシャルの両方とも、長年の指定席だった1枠に座っての出演となった。その時は2000年の2枠・久本雅美、2004年の2枠・井森美幸よりもほとんどの倍率設定が高くなっていた。篠沢の成績はそれぞれ1勝7敗と1勝4敗で、またとある問題で「ひとりを除いてみんな同じ答え」となった際、篠沢ひとりだけ不正解という現象も共に1題ずつ発生となる。しかもその2回とも篠沢が5人の解答者中最下位の成績だった。それでも、レギュラー出演時以上に「上品」な成績結果に、終始篠沢らしいにこやかな笑顔を浮かべていた。
答えを書く際に答えの理由を書くことも多く、例えば数字の語呂合わせの問題が出題された際、意味を併記したのは篠沢のみであった(それ以外の回答者は数字のみを書いたが巨泉が語呂を読んでいた。この問題は全員異なる答えではらのみが正解であった。)。
[編集] はらたいらのエピソード
はらたいらは正解率が非常に高くて倍率も低い傾向があり、連続正解率から「宇宙人」と呼ばれていたが、「事前に答えを聞いている」「問題ははらたいらが作った」とまで言われていた。しかし正解率が高かった理由に、時事漫画で知られるはらは、毎朝複数の新聞や週刊誌等を読み、そこからクイズに出てくる問題が何であるか予想していたからという(篠沢秀夫によると、「はらさんは『当てる係』という自覚があった。聞いてみたら新聞を14種類、週刊誌は「週刊朝日」から「アサヒ芸能」まで目を通していた」[1])。はら自身も「シャレがきつくないとダメだね」と言ったように、クイズダービーの問題作成者の作成傾向を実に的確に読んでいたため、正答率が高かったと後に語っている。
しかし『クイズダービー』終了後の、バラエティ番組等の出演時には度々「回答を知っているんですか?」「問題ははらさんが作成しているのですか?」と聞かれる事が多くなり、はらはいちいち説明するのが面倒なので「そうですよ」と答えていたという。
また、「はらたいらに3000点」は「倍率ドン!」「三択の女王」と同様に、番組終了後もこの番組を語る上での重要なキーワードの一つとなっている(嘉門達夫は「替え唄メドレー2」でデューク・エイセス「女ひとり」の替え歌ネタに使っていた)。特に難しい問題や出場者チームの点数が少なくなると、集中して指名されることから「困った時のはら頼み」ということもあった。はらの正答率は7割4分8厘(平均6勝2敗ペース)、年に数回は8戦全勝を達成している。ごく稀であるがはらの不調時には過去に3・4勝以下になった事も有り、最低成績は2勝6敗という記録も残っている。又はらの最多連敗記録は「5」である(1987年11月に第6・7・8問目と、翌週の第1・2問目を続けて不正解だった)。
特に、はらは三者択一問題が何故か苦手で(そのためか、はらは「三択問題を(3問から)2問に減らしましょうよ」と巨泉に懇願していたときもあったが、結局聞いてもらえなかったが、第707回は珍しく2問目が一般問題で三択問題は2問だった。)、連勝記録がストップしたのは殆ど三択だった(はらの三択正解率は約57%)。年に何度かはその三択で3問全滅となったり、はら一人を除いて全員正解という現象も発生しているが、それでもはら一人だけ三択で正解するケースもある。巨泉は「クイズダービーの問題の作成者は、いかにしてはらに三択で間違えさせるかに命をかけている」とまで言っていた。
他には何故か「カラオケの帝王」という異名も定着していたが、実際のはらはカラオケで歌を披露する事は殆ど無く、又作詩の問題も三択同様あまり得意では無かった。そしてはらは、普段からあまり表情を顔に出さない為、出場者等から「いつもクールな」、「無表情のはら」と言われる事が有った。さらには、かつて右隣に座っていた当時2枠レギュラーの山崎浩子が毎週必ず髪型を変えるのに比べ、はらは殆ど髪型を変えていなかったため、ある日出場者からは「いつも同じヘアースタイルのはらたいらさんに、1000点お願いします」と指名されたこともあった。その出場者の言葉にはらは思わず苦笑い、巨泉も「そうですよねえー、隣の浩子があれだけ髪型変えているのに、はらさんは全く変わらないんですから...真ん中だけ剥がしてくるとか、または坊主にするとか、色々やってみて下さいよ」と笑いながらコメントしている。
はらは漢字を間違えて書いてしまうことが時々あった。例えば「座頭市」の解答を「座頭一」と書き、「これじゃ『ざとうかず』だよ」と巨泉から冷やかされたり、とある最終問題の解答の際にも、「税務署」を「税務所」と間違え、同じく巨泉に「それは刑務所の『所』です!」と指摘されたこともあった(その時の最終問題は篠沢教授を除いて全員正解で、正しい「税務署」と書いたのは竹下と山崎浩子。はらと5枠ゲストの渡辺正行は間違った「税務所」と書いていた)。
ほか、漢字に自信がないと思われる答えは、平仮名や片仮名で書いたケースもあった。例えば「電子レンジ」という回答をはらは「デンシレンジ」と片仮名で書き竹下は「電子レンジ」と書いた(この問題の正解であり結局両者とも正解と見なした)。ほかにも「杉並区にある寺(釜寺)は、屋根に『ある物』が載っている事から、寺の通称名がついたそうです。何でしょう?」との問いに平仮名で「おかま」と解答。これも正解扱いとされたものの、巨泉には「それじゃあおすぎとピーコですよ!」と笑われていた。逆に他の解答者が仮名で書いた答えをはらが漢字を使うケースもあった。例えば「囚人」という解答を竹下は「しゅうじん」と書いたが、この答えははら・竹下両者とも正解と見なした。
はらは2000年末に放送された「SAMBA-TV」の復刻版において、前半戦は2勝3敗の出来(1問目はなんとはらを除いて全員正解)で巨泉曰く「絶不調」。出演者は本放送当時のイメージからか「困ったときのはら頼み」を続けていたが、巨泉は「はらたいらはもう70過ぎてるんですよ!」とギャグを飛ばした(当時はらの実年齢は57歳)。だが、流石ははらであり、最終問題では4人が立て続けに不正解の中はらひとりだけが正解、後半戦3連勝で結果5勝3敗の成績となった。しかしその約3年半後、2004年5月放送の復元スペシャルでは、はらは苦手の三択問題で2問共に不正解(他3問は正解なので合計3勝2敗)。出場者側の緑チームに座っていた安めぐみに「はらさんホント三択ダメですね」と言われる始末で、はらは安に対して「そんな事無いよ!」と不機嫌そうに怒鳴るも、スタジオ内は思わず失笑してしまった。
番組末期の頃、はらが偶然にも次の問題の答えを書いてしまったことがあり、加賀まりこや秋山豊寛に交代したことが過去にある。
※以前に番組開始当初放送作家を担当していた景山民夫が述べたという都市伝説で、1回2本撮りで偶然にも次週の同じ問目の答えを書いてしまい、それに慌てたスタッフが協議の上、客を全て入れ替えて撮り直しさせた説、そもそもこんな事実は無いとする説など、複数の説が存在する。
[編集] 竹下景子のエピソード
竹下景子は当初女子大生としてのレギュラー出演だったが、その後産休や番組末期等を除いて、約16年もの間、4枠の席を誰にも譲ることなく、『クイズダービー』において史上1位の出演記録を達成した。特に三者択一問題は、右隣の3枠はらたいらよりも竹下の方が強かったため、いつの間にか「三択の女王」と呼ばれるようになった。そして三択問題で竹下1人だけ正解のときは、司会者が「さすが三択の女王でございますね〜!」と叫んでいる(竹下の三択正解率は約82%)。その時の竹下は嬉しさや喜びよりも、大抵「え!? 私ひとりだけ正解なの??」という、戸惑い又は驚きの表情を見せていた。
2004年5月にTBSテレ